【町工場物語】(上) 休日未明、ほこりと闘う 昭和製作所 100年企業、車模型に挑戦
インドネシアに進出してきた日本の製造業の中には、ものづくりを支えてきた町工場の後継者たちの姿がある。奮闘する彼らの物語を報告する。
「やりきった」
2017年10月、西ジャワ州ブカシ県チカランの工業団地。昭和ワークス・インドネシアで、14年の設立時から取締役を務める奥野雄大(34)は一息をついた。目の前には完成直後の自動車外装部品の模型。メーカーが開発時、デザイン評価のため造る実寸大の自動車模型の一部だ。車のフロントグリル(前面の網)など、ケミカルウッド(人工木材)で精巧に作られたそれらは、奥野の努力の結晶だった。
同社は鋳造用木型などを手掛ける昭和製作所(本社・神戸市長田区、1919年設立)の現地法人。船舶部品の木型作りなどを行ってきた昭和製作所は戦後、自動車産業の発展で事業を拡大した。現在は自動車シートの金型鋳造用マスターモデル製作が主力事業。巨大市場に製品供給が追いつかないインドネシアに商機を見て、進出した。創業5代目の奥野はその先兵として立ち上げを担った。
模型製作は、インドネシアでの新商材を模索する中、日系大手自動車メーカーから依頼を得た。日本でもこれまで受注経験がなく、一からの挑戦だった。
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それはつい2カ月前のことだった。「どうすれば」。工場で奥野は嘆息した。初回納品を前に完成を目指した製品は、塗装面にほこりが入り、微細な凹凸が発生していた。これでは納品先が求めるレベルに達しない。迫る納期に、焦りがこみ上げた。
模型製作で求められるのは、実物の再現力だ。フロントグリルは格子部分を組木細工のように組み上げて表現し、ガーニッシュ(装飾パーツ)は研磨とメッキ処理で質感を再現。見た目には実物と見分けがつかないレベルまで作り込む。
だが、課題の一つが塗装だった。乾燥時などにほこりがどうしても入るのだ。予算や設備は十分でなく、日本で簡単に手に入る道具や材料もインドネシアでは満足に調達することができない。そんな中、考えた解決策の一つが、ほこりの立ちにくい終業後や休日の工場で作業に当たることだった。
休日の午前4時ごろまで塗装作業を行い、自宅に寝に帰る。5~6時間後、乾燥後の仕上がりを確認、凹凸などを見つけて落胆する。納品先に製品を持ち込んでも「基準に満たない」と返されることもあった。
研磨し、下地を塗り、また研磨し、表面部を塗装する。塗装前には表面のちりやほこりを器具で丹念に吹き飛ばす。ほこりが入ればまた研磨して塗装を剥ぎ、塗り直す。作業工程や時間、場所など、一度は成功した条件で繰り返しても、うまくいかないことも。成功するまで、試行錯誤を繰り返した。
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自動車メーカーからの依頼は現在も続き、製作できる模型の種類も増やしている。「カーナビ画面が見にくい」という顧客の声を受けた自動車メーカーに、幅や角度を変更した画面フレームの模型を提供したこともある。今後、主力事業の一つとしてさらなる拡大を目指す。
インドネシアで始めた模型製作事業は、そのノウハウが本社にも持ち込まれ、日本でも製品の受注が始まった。「道半ばだが、少しは本社に貢献できたかな」(奥野)。インドネシアには、同社唯一の海外工場を置く。「ここをASEAN(東南アジア諸国連合)向けの製造拠点に」。奥野の挑戦は続く。(つづく=敬称略/毎週掲載します)