「日本に根強い底力」 石兼ASEAN大使に聞く 変動期のアジアで、ともに秩序作りを

 3月に着任した石兼公博ASEAN(東南アジア諸国連合)大使はこのほど、じゃかるた新聞と会見した。石兼大使はASEANが国際社会の中で重要性を高めている要因として「経済の著しい発展や若い人口構成による経済活力があることと、経済・政治安全保障両面での秩序形成の中心であること。そして多様性とその中に統一を求める知恵があること」と指摘。各国に先駆けてASEAN事務局のあるジャカルタに常駐する専任のASEAN大使に任命された山田滝雄前大使から職を引き継いだ石兼大使は、昨年、8年ぶりに採択した日ASEAN間の共同宣言「バリ宣言」を基礎に、「相手と一緒になって考え、一緒に進んでいく」姿勢で、重要性を増すASEANとの協力強化に励んでいくとの意向を示した。

■アジア太平洋の中心
 山口県小野田市(当時)で生まれた石兼大使。家族に外交官はいなかったが、「小さい町で生まれ育ち、東京で何が起こっているのか、そしてもっと先の世界で何が起こっているのか、非常に関心があった」。
 外交官人生で印象的な出来事となったのが、中東地域を所管する部局に在籍していたときに発生した湾岸戦争(一九九一年)。「一言で言えば、日本という国はそういう事態に対処する準備ができていなかった。あの時の経験は私のみならず、おそらく多くの外務省の職員の中に重く残っている」
 湾岸戦争が如実に示した冷戦終結後の国際秩序の変化。当初は米国の一極支配が進むという見方もあったが、石兼大使は「当時の東側諸国、特に中国が巨大なマーケットと人口を伴って国際社会の枠組みに参加し、世界の構図に大きなインパクトを与えた」と指摘。
 冷戦後の秩序が現在でも模索段階にある中、「ASEANは(ASEAN十カ国と日中韓米露などが参加する)EAS(東アジアサミット)などアジア太平洋のこれからの秩序の中心にある。日本がASEANとともに、これからの秩序作りにどのように関わっていくかが大きな課題だ」と強調する。

■存在感低下、心配ない
 中国の台頭を中心に、アジアに大きな地殻変動が起きている中で、「(心と心の触れ合う関係をうたった一九七七年の)福田ドクトリン以来、おそらく二〇〇〇年ぐらいまでは特別なパートナーだった」という日本とASEANの関係は近年、変化してきた。日本のプレゼンスの低下も指摘されるが、「さまざまな国がこの地域への関与を強めており、相対的なパーセンテージが低下しているのは、ある意味で当然。だがそれ自体は心配する必要はない」と石兼大使。
 石兼大使が「日本が誇ってもいい」と振り返るのは、昨年四月、東日本大震災の支援のためジャカルタで開かれたASEAN特別外相会議。域外国の特定のテーマを対象に会議を開くのはASEAN史上初めてだった。「これは日本という国が、民間の方々の経済活動も含めて、この地域に一生懸命根を下ろしてきたことの証だ」
 また、日本企業は生産拠点とそれを結ぶ流通網を地域に築いてきた。「これはASEANが強調している連結性の原型。そういうことができる国はそうはないし、日本の底力はしっかりある」と断言する。

■インドネシアが手本
 インドネシアに赴任して最も関心したのは、インドネシアの国章「ガルーダ」の下部に書かれた「ビネカ・トゥンガル・イカ(多様性の中の統一)」の文字。多様な民族、言語、宗教を抱える国を一つにまとめてきたインドネシアが、統一を保つために掲げてきた国是だ。
 「多様性の中の統一というのはインドネシアの知恵であり、ASEANの知恵。そして国際社会の知恵にもなるべき。多様性が混沌とならずにエネルギーになるというのが、ASEANの大きな力だ。その一つの良いお手本をインドネシアが示している」

■官民協力、重要性増す
 「かつて官民一体の日本はけしからんと言われたが、今はむしろ日本が遅れているぐらい。官と民が癒着するというのではなく、透明性とルールがある中で協力し合っていくのがますます重要になってくる」と話す。 
 特に投資環境の改善へ向けた取り組みについて、「今までは二国間の関係の中で対応してきたが、連結性が強調されているこれからは、国境を越えた問題になってきており、それが日本のASEAN外交の課題となる。その観点でも、官民がしっかり協力をしながら、ASEANとともに取り組んでいくことが重要だ」と力を込めた。

◇石兼公博(いしかね きみひろ)氏
 山口県出身。五十四歳。一九八〇年、外務公務員採用上級試験合格、八一年に東京大学法学部を卒業し、外務省入省。中近東アフリカ局アフリカ第一課長(九九年)、経済協力局有償資金協力課長(二〇〇三年)、在米国日本大使館公使(〇五年)、国際協力局政策課長(〇七年)、内閣総理大臣秘書官(同年)、外務事務官(〇八年)、アジア大洋州局兼アジア大洋州局南部アジア部参事官(〇九年)を経て、一一年九月から同審議官。
 日本に息子と娘を残し、ジャカルタでは妻の薫さんと二人暮らし。「無趣味で食べたり飲んだりするのが好き」だが、在住邦人から勧められて、就職してから一回もやっていなかったというゴルフを「泥縄で練習し始めた」。格闘技は全般的に好きで、テレビ観戦を楽しんでいるという。

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