【MRT物語】(3) 幹部会議で知事に直訴 MRT工事 24時間体制に 州の用地収用、進まず
「まだまだ未収用の土地がたくさんある。このままでは、予定通りの建設は無理だ」
英語が室内に響いた。2016年8月の早朝、ジャカルタ特別州庁舎。アホック知事(当時)出席の州幹部会議で、オリエンタルコンサルタンツグローバルの軌道交通事業部課長、南條大助が淡々と訴えた。大量高速鉄道(MRT)工事の施工を監理するコンサルタントの長として、会議に乗り込んだのには訳があった。州の責任で行われる建設用地の収用が、遅々として進まなかったのだ。
「大統領の望む19年3月の開業は困難だ」
南條の発言に、居並ぶ州幹部らが沈黙する。知事が激怒した。「知らなかった。君たちは一体、何をしていたのか」。そう幹部らを怒鳴った。「インドネシアを批判する発言で、国外追放も覚悟した」(南條)が、効果があった。
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MRTの建設用地は、13年の着工時に全て収用が終わっているはずだった。だがルバックブルス駅前の車両基地やチプテラヤ、ハジナウィ、ブロックA各駅の予定地周辺では、地主の反発でそれが全く進まなかった。MRTを推進するジョコ・ウィドド(通称ジョコウィ)大統領の反対派が多く、1平方メートル・3千万ルピアの収容価格に応じないのだ。一方で、用地収用のための州の予算が、なぜか、ゼロの年もあった。これではそもそも収用など進まなかった。
各地下駅周辺の地上に2つずつ設ける予定だった換気塔(高さ12メートル)も、用地のメドが立たず、MRT職員や工事を担当する日本の建設会社と地主を回り、借地を頼み続けた。本来は自分の任務ではない。だが「完成させたい」の一心だった。ある候補地はたまたま財務省が差し押さえており、借地も簡単だと期待したが、同省も非協力的だった。この国の役所間の溝の深さを感じた。
どこに頼んでも話が進まない。幸い、知事を支援する若者グループに人脈があり、そのつてで乗り込んだのが州の会議だった。「最後の手段」だった。
知事が動き始めた。自ら地主を呼び説明会を行う。庁舎に地主や住民とのホットラインも設けた。後任のアニス知事も協力的で、大部分の用地の収用は開業1年前の18年3月、何とか終わった。
収用の遅れで打撃を受けたのは、当然ながら日本を中心とする土木工事や鉄道システム、車両の業者だった。トンネルや駅の建設。線路や信号機の敷設。駅の内装。車両の走行試験。綿密に組まれた予定を全て書き換えた。
24時間体制が敷かれた。「こんな体制は無理だ」。全業者ら約50人が出席する毎週の会議では苦情が続いた。会議は開業間近まで行われたが、南條は最後まで諦めなかった。
ことし3月、MRTは予定通り開通した。
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大統領府。官庁。州政府。MRTや地元業者。今、南條の手元には数百枚のインドネシア関係者の名刺が残る。台湾の新幹線工事などに携わった後、13年からMRT建設に従事して6年。その間に得たものはやはり人脈だったと思う。完成も全て人脈のおかげだった。
MRTは現在、北への第2期工事で業者の入札中だ。工事は近く本格化する。「この人脈は将来への大きな遺産だ」。南條はそう考えている。(敬称略=つづく/本紙取材班/毎週掲載します)