【売られた花嫁】(3) SNSで「助けて」投稿 監視の目くぐり逃亡
中国人の義母の監視の目をくぐり、勤務先のガラス工場から逃げだしたワティさん=仮名=(29)は大通りに出てタクシーを拾った。所持金は500元(約7千円)、スマホは夫一家に取り上げられたままだった。「北京へ」「スマホを買いたい、お金はこれだけしかない」。言葉の通じない運転手に、身ぶり手ぶりで懸命に伝えた。
安いスマホを買い、翻訳アプリを使って、逃げてきた事情を運転手に話した。運転手はワティさんを警察署に連れていった。
「中国人と結婚している。家庭内暴力を受けた」。ワティさんはそう訴えたが、警察官が連絡したのは夫だった。夫はすぐに連れ戻しにやってきた。「行きたくない」。泣いて抵抗し、警察署で夜を明かした。
警察官の中にはワティさんをふびんに思う人がいて、スマホのWi—Fiをつなげてくれた。約3カ月ぶりに聞く電話越しのわが子の声。「うれしかったぁ」。涙が出た。
行くあてのないワティさんを、警察官は宿泊所に連れていった。初めのうちは饅頭(マントウ)と水を差し入れてくれたが、次第に何もくれなくなった。
「こんなところにいるより夫のところに帰ったらどうだ」。警察官にはそう諭されたが、「夫の家に戻るくらいなら刑務所に連れていって」と拒んだ。「犯罪をしていないのだから無理だ」と言われ、「どうすれば刑務所に入れるだろう」と考えるほど、追い詰められていた。
宿泊所に来て数週間。1週間何も食べず、飲料水がなくなれば水道水を飲んで飢えをしのんだ。「ひたすら祈り続けた」
そんな時、中国に住む友人から対話アプリの「メッセンジャー」で連絡が来た。「フェイスブックで被害を告白し助けを求めては」。わらにもすがる思いで4月中旬、こう投稿した。
「エージェントに北京で売られた。義父に暴力や性的嫌がらせを受けた。どうか助けて」。名前やパスポート番号、居場所も載せ、インドネシアの警察や法的機関に知らせてほしいと呼びかけた。これを知った支援団体「インドネシア移民労働組合」(SBMI)が救出に動き、間もなく離婚が成立。4月末、約7カ月ぶりに帰国を果たした。
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ワティさんは今、子どもたちや両親と西カリマンタン州ランダック県の実家で暮らす。病気がちの母親の世話をしながら、自宅でかごを編み、売って生計を立てている。生活は楽ではないが、「どれだけ良い条件を示されても、二度と外国には行きたくない」と話した。
中国にいた頃、対話アプリのグループで、同じ人身売買の被害に遭ったダヤック人女性たちと知り合ったという。「全ての人身売買組織が摘発されること。それが私の願いです」(木村綾、つづく)