スマホ消失
「なんか、日本の夏祭りの夜みたいやね」。夜店に灯りがともり、提灯が揺れる。南ジャカルタ・ブロックMを渡る夜風が、心なしか涼やかに感じられた。風に乗って祭りばやしが聞こえてくる。6月22日、文化交流イベント「縁日祭」の夜。ビールを軽くひっかけ、オタクグッズの店などを冷やかし、写真を撮りながら、そぞろ歩きしていた。
うぬ? 腰が軽い。見ると、ベルトに付けたスマホポーチから、iPhoneが消えている。周辺を捜したが、見つからない。
すられたか。恥ずかしすぎる……というのは、縁日祭取材に行く同僚に「入場料を取らないイベントなので、スリもたくさん紛れ込んでいるそうだ」などと、注意を呼び掛けていたのは、当の私だからだ。
大急ぎで自宅コスに戻り、パソコンを使って盗難モードを起動した。ブロックMの区域内でiPhoneを探知、付近を同僚の高地伸幸記者と大野航太郎記者が捜してくれたが、見つからなかった。
インドネシアで携帯電話をすられたのは2回目。1回目は共同通信の特派員をしていた2000年ごろに、闘争民主党の集会を取材していてやられた。やはり、群衆にもまれながら写真撮影をしていた際に、腰のポーチから盗まれた。
じゃかるた新聞に来た昨年7月以降は、雇い兵向けブランドのポーチを使っていた。ナイフなどでは容易に切れない素材で、開けようと引っ張ると、面ファスナーから大きな音がする仕様だ。さらに、人混みではポーチごとバッグに入れるよう心掛けていたが、あのときは忘れていた。ポーチの頑丈さを過信していた。焼きが回った。
新しいスマホを買いに行く時間がなく、3日ほどスマホなしで過ごした。
スマホとひも付けされているアプリが全滅。パソコンで使おうにも携帯電話認証でストップした。
ワッツアップが使えず、編集部に出稿予定も上げられず、取材先との情報交換もできない。ラインで日本の友人や家族と話ができない。もちろん電話もできない。
官庁での取材を終えて、業務車の運転手を呼ぼうにも、連絡手段がない。かつては「カーコール」というスピーカーで運転手を呼ぶシステムがどこにでもあったが、今はまれだ。
ゴジェックに乗れない。ゴーフードの出前を呼べない。ゴーペイで電気料金が払えない。オフォでパンも買えない。
親しい人とは、パソコンのメッセンジャーやツイッターDMでチャットできるが、デスクに向かってでは、まったり感が足りない。
スマホ先進国インドネシアの生活は、スマホがないと始まらない。(編集委員・米元文秋、写真も、ツイッター@yonejpn)