日本語の先生は80歳 広島・林幹雄さん インドネシア人ら教える
「先生、先生」「オポールアヤム(鶏肉のココナツミルク煮)です。どうぞ」。林幹雄さん(80)がホールに現れると、たちまちインドネシア人の若い男性やヒジャブ姿の女性たちの輪ができた。8日昼、JR広島駅近くの広島市立留学生会館。この日はレバラン(断食月明け大祭)を祝うパーティーが開かれ、留学生らインドネシア人数十人が集まっていた。
目を細めながら林さんが話す。「たまたまなんですよ、インドネシアと関わったのは。元は製薬会社で国内営業。定年後に英会話を勉強する仲間から、インドネシア語を学ぶよう勧められたのがきっかけ。講師は留学生だった。広島で開かれたアジア大会(1994年)で、私の住む(広島市東区の)町内がインドネシアの応援を担当したという縁もあった」
「それが、15年ほど前に『日本語教室で教えてくれ。インドネシア語が分かるなら』という話になった」
今はインドネシア人6人、ネパール人2人、カンボジア人2人、中国人1人の計11人を教えているという。「私は正規の日本語教授法を学んだわけではないので、授業料は取れん」と、ボランティアで週1回、留学生会館で教室を開いている。
「先輩が後輩を次々連れてくる。当初教えていたインドネシア人留学生の中には、帰国して大きな病院の院長になっている人もいる。インドネシア人は、留学を終えて帰りっぱなしではなく、いつまでも覚えていてくれる。里帰りした現役留学生に、ジャワコーヒーを言い付けてくれたり。そういうことがうれしい」
林さんの教室の生徒で、広島大大学院博士課程で医学(眼科)を学ぶ女性、ディア・グマラ・イブラヒムさん(28)は「林先生と、お互いの国の文化を学び合えるのが楽しい。先生はインドネシアの歴史にも詳しい。『スラバヤはいつできたか』『紅白のインドネシア国旗の意味は』などと先生に問われ、私が即答できないこともある」と笑った。
林さんは、この日夜、インドネシア人留学生の歓迎会にも出席。80歳の国際交流は夜更けまで続いた。(広島市で米元文秋、写真も)