現代でも至難の技 200万個の石で造営
ここでボロブドゥール寺院について簡単にまとめておきたい。
ボロブドゥール寺院は、ジョクジャカルタの北西42キロ位置する世界最大級の仏教遺跡である。近くのヒンドゥー寺院であるプランバナンと共に世界遺産になっており、インドネシアではバリ島に次ぐ人気の観光地である。遺跡の総面積は1万5千平方メートル、高さは33・5メートルある。
大乗仏教を取り入れていたシャイレーンドラ王家によって、792年ごろに完成されたと考えられている。その後9世紀の初めから中ごろまでに増築されている。ボロブドゥール寺院の造営は、778年のカラサン碑文にシャイレーンドラ朝の王がヒンドゥー教を奉じる古マタラム王国の王に対し、仏僧のための僧院を建造するよう提案したことによって始まったとされている。
両王国は婚姻関係を結ぶことにより協調していたが、実権がマタラム側に移るとプランバナン寺院群を建造した。これによって中部ジャワの地は、再びシバ信仰を奉じるヒンドゥー勢力に支配され、大乗仏教はジャワから後退していった。
ボロブドゥール寺院は、長い間密林の中に埋もれていた。それはムラピ山の爆発の際の火山灰によるものと言われているが、後のイスラム教徒による破壊を恐れて人々が埋めたという別の説もある。以前から地元の村人には、埋没した何かがあると知られていたらしいが、1814年にイギリスのジャワ副総督であったスタンフォード・ラッフルズ(1781~1826年)が、その調査を指揮したオランダ人技師コルネリウスと共に、その一部を発掘した。
発掘調査は1851年から進められたが、一時は崩落の危険性があるため、埋め戻されたこともあった。1900年からオランダ政府によって発掘調査委員会が組織されて以降、本格的に復元工事が行われていくことになった。
インドネシアの独立後の1960年代初頭には、崩壊寸前の危機にあったが、国連教育科学文化機関(ユネスコ)主導で改修工事が行われ、1982年に完了している。方形壇部分をいったん全部解体し、石の一つ一つに番号を付けて、コンピュター管理を行っている。この修復事業には日本はじめ27カ国が資金協力をしている。
この巨大なボロブドゥール寺院は200万個の石で造られている。一体どのような人々によって造られたのであろうか? 昨日訪問したプランバナン寺院もそうであるが、建物全体の荘厳なデザイン、石造りであるが柔和な感じさえする仏像の神々しさ、レリーフの繊細な芸術性など、誰が設計し、どういう人々が建設に携わったのか。建築技術の発達した現在でもこれほどの建物を造るのは至難の技ではなかろうか。まして失礼ながら、今のインドネシア人には不可能ではないか。
これらの建築物の記録がほとんど残っていないので想像すら難しいが、一部の高度な技術を身につけた指導者がいたとしても、工事の現場ではどのような人々が働いていたのか。相当な大人数を要したはずだが、その人々は一体どこから来たのか。地元のジャワ人か、はたまたインド辺りから来た石工職人か。
このようなことを考えていると、同行した友人があの魅力的な釈迦如来像をもう一度見ておきたいと言い出し、再び階段を登ることにした。ここを大変気に入ったようだ。初めてインドネシアに来る友人にここを見てもらいたいと旅程に入れたかいがあった。(「インドネシア香料諸島」=宮崎衛夫著=より)