残留日本兵の孫が日本へ 「記憶、引き継ぎたい」
残留日本兵の故・石川信光さんの孫マウリダ・ラフマさん(22)=アチェ州在住=が3月中旬、祖父の痕跡を追い、初めて日本を訪れた。同州にある石川さんの妻でラフマさんの祖母に当たるアニサさん宅には、石川さんの写真や手紙が残されていたが、2004年のスマトラ沖地震・津波で一部が消失。ラフマさんは祖父の思い出と遺品を共有したいと、訪日を決めた。
石川さんは、衛生兵としてインドネシアに渡り、第二次世界大戦後、インドネシアに残ってアニサさんと結婚。インドネシアの独立戦争にも参加した。石川さんは息子のイスカンダルさんが幼いころに他界した。そのイスカンダルさんの次女に当たるラフマさんら家族は、石川さんのことを詳しく知らないままに育った。
ラフマさんの今回の訪日以前に、イスカンダルさんが1987年、日本を訪れ、親戚と面会した。親戚宅から石川さんの写真などを受け取り、祖母宅に保管していたがスマトラ沖地震・津波により流失したという。
ラフマさんは、3月上旬から2週間、日本に滞在し、祖父の故郷の本家がある新潟県柏崎市や祖父の甥家族が住む埼玉県狭山市などを訪れた。本家にはアチェから祖父が送り続けていた手紙や写真が残され、出兵前の若々しい信光さんの写真も飾ってあった。
本家に住む祖父の甥の妻の石川愛子さんからは、「(石川家は)面倒見のいい人が多く、終戦後もインドネシアに残って現地の方々のために骨を折ったんじゃないでしょうか」と聞き、人柄の一端に触れた。
別の甥の庭山勲さん(86)は「戦争が終わった70年も前から、インドネシアの親戚に会いたいと思っていた」と面会に涙を流していた。
勲さんは終戦の翌年、新聞記事で石川さんのことを知った。「白いシャツを着て牛の手綱を引いていた」という記事の写真や内容を今も覚えている。ラフマさんとは初対面だったが、「懐かしくて、娘のように感じた」という。ラフマさんは当初、訪日に不安を抱いていたが、親戚らの歓迎に感謝していた。
今回の訪日のきっかけになったのはアチェ州と東北の被災地の交流事業「アチェ=ジャパン・コミュニティアート・プロジェクト」。ラフマさんはこれに参加して日本に渡った。祖父のこと、第二次世界大戦のこと、日本の津波のことを学び、「将来まで記憶を引き継ぎたい。離れ離れだった家族が、災害によって、再びつながることができた」と話している。(木許はるみ)