「まだ理想の半分」 ジャカルタ漁港開発40年 折下定夫さん
新たな中央卸売市場が開場したジャカルタ漁港。1984年に開港した漁港は、日本の政府開発援助(ODA)で整備され、その後も進化を繰り返してきた。「まだ理想の半分」。40年以上にわたり開発に従事してきたコンサルタントの折下定夫さん(71)は、厳しくも温かい目で漁港の発展を見守り続けている。今後の課題を聞いた。
折下さんは78年からジャカルタ漁港開発プロジェクトに参加。84年の開港を経て、衛生環境整備や地盤沈下対策など一連のODA事業は2012年まで継続された。護岸整備の一環として、防波効果もあり景観改善にもつながるマングローブを植樹するなど、「現地にあった開発」を心がけてきた。
12年の事業終了後もジャカルタと各国を行き来しながら漁港のアドバイスを継続。ジャカルタ滞在中はほぼ毎日漁港に通い、ボランティアで職員らの相談に乗っているほか、ジャカルタ日本人学校(JJS)の児童や在留邦人を漁港に案内している。
同漁港の水産物取扱高は年間約20万トンで、日本一の水揚げ高を誇る銚子漁港(千葉県)にも迫る勢いだ。「インターナショナルな漁港として、国際的な水準のきれいさを保ってもらい、秩序ある漁港になってほしい。そのためにはまだまだやるべきことがある」と折下さんは話す。
一つは港内海水の深刻な水質悪化だ。折下さんは、ゲートを開け閉めし、ごみを取るだけで、簡単に毎日5千トンの水を循環できるという海水浄化システムを開発。2000年に漁港に導入し、長年水の浄化に役立ってきたが、ここ数年の間に水路が埋められ、システムが機能しなくなってしまったという。折下さんが昨年11月に上空から撮影した写真では、港内の水がにごっているのが分かり、「これでは恥ずかしくて外国のお客さんを連れて行けない」と話す。
ODAで建設するも、使われなくなってしまった施設もある。荷さばき場の建物は、利便性を考え、岸壁近くに12年に建設。食堂スペースなども設けた2階建てで、当初は利用されていたが、やがてインドネシア側が開口部を閉鎖してクーラーを付けると、使われなくなったという。「水揚げした魚を荷さばき場で一元的に扱えば、役所も魚を管理しやすくなるはず」と指摘する。
魚の管理についてはスシ・プジアストゥティ海洋水産相も課題に挙げている。ジャカルタ漁港で水揚げされた水産物は申告し、岸壁使用料を払わなくてはいけない仕組みだが、スシ氏によれば「申告されているのは20~30%に過ぎない」。現状、港内のあちこちで荷さばきされる魚の管理や統計が困難な状態と思われ、スシ氏は州政府と協力して改善策を練りたいとしている。
長年の課題は地盤沈下だ。ジャカルタ漁港周辺の地盤沈下は40年間で約4メートル。毎年10センチ沈下している計算で、漁港内には浸水したまま廃墟のようになって10年以上放置されている建物もある。「課題はたくさんあるけれど、少しずつ前に進んでいる。今後も漁港を見届けていきたい」と折下さんは話した。(木村綾、写真も)