世界遺産を訪ねて プランバナンへ 番外編①
北マルク州のテルナテを午前8時15分にたち、ジャカルタ経由の便でジョクジャカルタにほぼ定刻の午後1時半過ぎに到着した。今回の旅は、香料諸島をメーンとしたが、久しぶりにインドネシアに来たので、この国の誇る世界遺産である仏教寺院、およびヒンドゥー寺院を見学し、またジャワ文化の中心地のジョクジャカルタ王宮をも訪問することにした。午後は、空港から近いプランバナン寺院とその周辺の遺跡群を訪問する予定だ。
サンビサリ寺院は9世紀のヒンドゥー寺院である。ここは、ボロブドール寺院同様にムラピ山の噴火により、埋もれていたと言われている。1966年に寺院の一部の突起物が農夫によって発見され、その後、再建されたのは87年のことである。この寺院の建立時期については、9世紀に使われていた古代ジャワ語で書かれた金のプレートが根拠になっているようだ。
サリ寺院は、8世紀の仏教寺院である。2階建てではり、床、階段などでは木材が使われていたらしいが、それらは朽ちてしまっている。この寺院の本来の機能は僧侶の住まいであったと言われている。サリはジャワ語で「寝る」ことを意味するようだが、このことからも僧侶の住まいであったと判断される。
次に向かったのは本日の目玉で、世界遺産にもなっているプランバナン寺院である。久しぶりに見る重厚なシヴァ寺院を中心に並び立つ石造りの寺院群の壮大さに圧倒される。ここは9~10世紀に建てられたヒンドゥー寺院で、メーンの3塔は破壊の神シヴァ、創造の神ブラーマ、そして維持の神ヴィシュヌに捧げる寺院である。プランバナンはインドネシア最大のヒンドゥー寺院であり、最も高いシヴァ寺院は47メートルの高さがある。
歴史家によると、この寺院は仏教国であったシャイレーンドラ朝のほぼ1世紀(8~9世紀)にわたる支配の後に、ぼっ興してきたヒンドゥー王朝により建立されたものとされている。その後、古マタラム王国(717~929年)の一部の王たちによって拡張されて、宗教的儀式やいけにえの儀式は全てここで執り行われていた
ここもやはりムラピ山の噴火や、16世紀の大地震によって大きな被害を受けて廃墟同然になっていたようだ。19世紀に入って海外からの注目を浴びるようになり、1811年に東インド(現在のインドネシア)がイギリスの支配下に入った短い期間中に、ジャワの副総督であり、後にシンガポールを開発したスタンフォード・ラッフルズに仕える測量技師が偶然にこの寺院に出くわした。ラッフルズはその調査を命じるが、大した成果も出せずほとんど放置されていたようだ。その後オランダ人たちが自分の庭の飾りとして石像を持ち出したり、あるいは村の住民が建築材料として寺院の土台となっていた石を持ち去ったりした。
1918年にオランダはやっと再建を試み始め、30年には一応の成果を出したが、シヴァ神の寺院の修復が完成したのは53年のことである。多くの元の石材が盗まれ、ものによっては遠くにまで運び出されており、その所在が分からないので、修復には多大の困難を伴ったようだ。(「インドネシア香料諸島」=宮崎衛夫著=より)