【火焔樹】 ポジ出しの勧め
思えば日本の社会はダメ出しの連続である。公園デビューとなる幼児のころには「〜ちゃんそっち行ったらダメよ」、小学校の反省会では「〜さんが〜をしたのが良くないと思います」、中学の野球部では「もっと練習しなければダメだ」、高校の進路指導では「もっと勉強しなければダメだ」、社会人になって「もっと仕事しなければダメだ」。「ダメだ」「良くない」の連続である。
インドネシアでは何と言うだろうか。親はベビーシッターに「ちゃんと面倒みろ」、小学校の道徳の時間に「神の教えに従いなさい」、中学のバスケの試合で親が先生に「息子を試合に出せ」、高校の遠足で先生が裕福な家庭の子弟に「一千万ルピア寄付するよう」、社会人となり勤務先の役所の上司から「あの会社から巻き上げろ」。人任せ、神頼み、自分勝手、金持ち崇拝、恫喝(どうかつ)‥。
日本の場合は、「悪いところを正さねば良くならない」。もっともな話だが、最近になって「ポジ出し(ポジティブ出し)」という言葉が聞かれるようになったのは、小さい頃からダメを出され続けてきた反発や規律と生真面目さや誠実さだけでは、もはや世界の流れに置いてきぼりを食らうため、日本人の苦手なポジティブシンキングに国中が無理やり移行中という背景があるのだろう。
一方、インドネシアで、「人や目に見えないものへ頼り続けることや持てるものが幅を利かせる社会」となったのは、子どもから大人になる過程でささやかれる、冒頭に書いたような言葉が大きく影響している。
そして、一方は「良いところがあってもあえて欠点を見つける」、他方は「甘えて当然」という考えが根底にあるお互いの共通点は、こんな現象に意義を唱える者は和を乱す存在とされることであろうか。
私は、日々暮らすインドネシアの社会にダメ出しを連発する一方で、日本では絶対に人に頼らない場面でもここでは人を当てにし、金の力に頼る局面が多々ある。無意識のうちに、二面性を抱える自分のバランスを取っているかのごとくだ。
「頼らずポジティブに」。これが私の究極の目標であるが、和を乱すものとして日本やインドネシアから追い出されやしないか。ちょっと心配である。(会社役員・芦田洸)