マゼランの記念碑 ティドレのフェリー乗り場 (24)
ティドレ島のフェリーの発着場所ルンのすぐ側に、スペイン砦(とりで)があるというので行ってみた。そこに砦らしきものは見当たらなかったが、思いもかけずこの場所に、フェルディナンド・マゼランがフィリピンのセブ島で原住民に殺された後、エルカーノの率いるビクトリア号とトリニダード号が到着したことを記す記念碑があった。
ポルトガル人のマゼランの死後、両船とも船長はスペイン人となり、これによって名実ともにスペインの船隊となっていたのである。この場所が上陸地であったかどうかは定かではないが、それを示す石碑が、スペイン大使と「フアン・セバスティアン・エルカーノ」という名のついたスペイン海軍の訓練船の連名で建てられていた。
石碑には「1521年11月8日にこのティドレ島に到着し、同年12月18日にスペインに向け帰国の途につき、最初の地球一周を成し遂げたフアン・セバスティアン・エルカーノとビクトリア号の乗組員を記念して」と記されている。艱難(かんなん)辛苦のあげく、マゼランの航海の悲願であり目的地であった香料諸島に上陸した時の、彼らの喜びはいかばかりのものであったろうか。あるいは喜びの気持ちに交錯するように、帰路の航路への不安が募っていたのではなかろうか。
マゼラン艦隊のスペイン出発時は280人、航海の途中で多くの乗組員が命を落し、スペインにまで無事生還できたのはたったの18人だったのだから。
これでティドレ島を一周した。テルナテへの帰りのフェリーは午後5時発の予定である。かなり早目ではあったが午後4時過ぎには乗り場に着き、フェリーを待つことにする。ところがここで延々と待たされる羽目になってしまった。乗るべきフェリーがなかなか到着しない。相当遅れそうな気配であるが、フェリー乗り場に職員もおらず、情報が得られない。
■遅れたおかげで
そのうち、他の乗客が携帯電話で情報を集めているのを聞くと、来るべき予定のフェリーが故障でドックに入ったので、代わりの船がハルマヘラ島の方から迂回してくるのを待たないといけないということが分かった。待つこと3時間。それでも来ない。この島に泊まるべきホテルもなさそうだ。その間、他の乗客といったい何時になったら来るのかと話をしていると、スラバヤ出身と言う一人のおばさんから「そのうち必ず来るはずだから、我慢、我慢(Sabar、sabar) 」とたしなめられた。
今まで同様な事態を何度も経験しているというおばさんの言うことだから、確かに静かに待つしかないのだが、ホテルもないようなこの島で一晩過ごすのはかなわんなといらいらしていた。おおらかなインドネシア人のようにもっと穏やかな気持ちを持たねばならないと反省するが、まだかまだかとフェリーの待合所と船着き場を行ったり来たり落ち着かない。そうこうしていると日の沈む時間になり、美しい夕焼けが西の空を染め始めた。
フェリーが遅れたお蔭で、この南海の素晴らしい落日の光景を見ることができたのである。不幸中の幸いである。ガマラマ山が富士山と見紛うようなシルエットで浮かぶ。波、風、空とも穏やかで優しく甘美な夕焼けだ。(「インドネシア香料諸島」=宮崎衛夫著=より)