最年少9歳が出場 五輪競技採用で注目 スケートボード
スケートボードに興じる若者をジャカルタの街で見かけることが多くなった。夜になると、広めの歩道や静まり返るオフィス街などで、ホイールの音を響かせながらトリック(技)に挑戦しては、失敗を繰り返して笑い、アドバイスし合い、友情を育んでいる。アジア大会では初めて正式競技に採用された。なんとインドネシアからは9歳の少女が出場する。
スケートボードの種目は競技場の特徴により異なり、手すりや縁石、斜面などが設置され街中を模した「ストリート」とハーフパイプやボウルと呼ばれる曲面の窪地が続く「パーク」の二つに分かれる。この手すりなどはセクションと呼ばれ、オーリー(ジャンプ)などさまざまなトリックを決める場所でもある。
難易度や一貫性などの項目で採点され、審判5人のうち、最高点と最低点を除いた3人の合計点が得点となる。今大会では試技は3回を予定している。
競技の技術面を監修するテクニカルデリゲート(TD)を任されているのは、日本スケートボード界の先駆者として世界に知られる小川元(げん)さん(44)。競技会場は、南スマトラ州パレンバン市のジャカバリン・スポーツ・シティ(JSC)に7月に完成したスケートパーク。国際基準となるコンクリート製の会場で、「難しいトリックに挑戦するセクションもあるため、一人一人が自分の力を出せる場所になっている。人によってコースの取り方がだいぶ変わってくる、そういうコース」と話した。
本番は28、29両日。現状の課題として会場の暑さ対策を挙げた。
インドネシアのスケートボーダーのレベルはどうか。小川さんに同行していた沖縄のスケートボーダーは「日本の何人かは世界でもトップレベルに上り詰めている。インドネシアはこれまでに国外の大会へ出場している実績があるので、ここからどう開花するかという段階」と評価する。
1970年代後半にスケートボードはインドネシアに渡来、80年代にジャカルタと西ジャワ州バンドンの2都市で広まったのがはじまり。99年のインドネシア・スケートボード協会(ISA)設立とともに国内大会が開催され、他の地域にもスケートボードが普及していった。
インドネシアから今大会に出場するのは、男子4人、女子2人の計6人。代表ヘッドコーチのヨジャヤ・チャルレス・クスマ(通称チャルリー)さん(52)は「実力に見合う結果を残すことと自分の満足いく滑りをしてくれれば」という気持ちで送り出すと話した。女子2人はいずれも初出場となる。
最年少はストリートに出場するアリカ・カイサ・ノフェリーさん(9)。スケートボードをやっていたバリ在住のいとこがジャカルタに来た際に一緒に遊び、好きになったことがきっかけで、7歳から始めた。練習を見守る母親のエンバン・プリハティニさん(44)は「練習場の明かりが消える前に帰ろうと言ったら泣き出したの。それほど熱中していた」と振り返る。
失敗しても何度もチャレンジする姿が特に印象的なアリカさん。「アジア大会では決勝まで進めれば。2年後には東京五輪に出場したい。3歳の頃に日本に行ったがあまり覚えてないのでぜひ行きたい」と目標を掲げた。
パーク種目に出場するぺヴィー・プルマナ・プトラさん(28)は、国内大会を2005~15年まで制覇。アジア地域の大会でも3度優勝しており、メダルが期待される一人。日本も史上初めて代表チームを編成して出場するが、小川さんは「現時点(7月25日時点)メンバーの正式発表はまだ先になる」とした。(中島昭浩、写真も)