日イ関係の礎 プルサダ55周年祝う 式典に152人参加
日本に留学したインドネシア人留学生で組織する元日本留学生協会(プルサダ)は21日、東ジャカルタにあるダルマ・プルサダ大学内の講堂で、同協会の55周年記念と大学設立32年の記念式典を開催した。日本とインドネシアの良好な関係を支える礎となったプルサダ発足当初の元留学生を含む152人が集まり、歴史を振り返るとともに、未来を担うダルマ・プルサダ大の改革などについて意見を交換した。
式典には、プルサダ会長を務めるラフマット・ゴーベル日本担当特使や会員、関係者のほか、来賓として、在インドネシア日本大使館の本清耕造次席公使や中村亮公使、東アジア・アセアン経済研究センター(ERIA)の西村英俊事務総長、日本貿易振興機構(ジェトロ)ジャカルタ事務所の春日原大樹所長、国際交流基金ジャカルタ日本文化センターの塚本倫久所長、三井物産やトヨタなど支援協力を行う日系企業関係者らが出席した。
ダルマ・プルサダ大学のダダン・ソリヒン学長は、半世紀を超えるプルサダの歴史を振り返るとともに、「多くの留学生たちが、ものづくりをはじめとする優れた技術やノウハウ、心構えなどを日本で学び、それがインドネシアに受け継がれ社会に貢献してきた」と功績をたたえた。
ゴーベル特使は現在進めているダルマ・プルサダ大学の改革に触れ、「卒業証明書を出すだけでなく、卒業後に社会に貢献できるノウハウを身につけた人材として育てることが必要」と強調。日本での研修制度を充実させるなどの計画を説明し、協力を呼びかけた。
1960年に留学した賠償留学第1期生で、2002年から4年間ダルマ・プルサダ大学の学長を務めたリリ・サタリさんが留学生代表でスピーチ、「日本ではどこに行っても皆親切だった。目上の人を敬い、皆自ら一生懸命働いていた。多くのことを学んだ。日本は第二の故郷」と語り、大きな拍手を受けた。
25日に任期を終え帰国する本清次席公使は、じゃかるた新聞の取材に「日本とインドネシアの良好な関係は、ここに集っている人々に支えられてきたということを、われわれは忘れてはいけない。今回も前の任期の時も、私はこの地で多くのインドネシアの人々に助けられた。このように日本を愛し、日本とインドネシアの関係を支えてくれる人々がいることを、もっとたくさんの人に知ってほしい」と話した。
インドネシアの学生が初めて日本に留学したのは1930年初頭とされる。その後、43年には南方特別留学生制度が始まり45年までに63人、52年には船舶留学生制度が始まり57年までに82人が留学した。プルサダは、戦後賠償で日本政府が60〜65年にかけて招へいした留学生らが63年に結成した同窓会組織。現在は、私費留学生も含む約1万人の元留学生が参加している。また、ダルマ・プルサダ大学は、86年に元留学生らが中心となって日イ友好のシンボルとして創設。元留学生が母国に帰り、大学を作ったのは世界でも珍しいケースと言われている。(太田勉、写真も)