学ぶための環境を SJS校長 村下俊文さん
スラバヤ日本人学校(SJS)の村下俊文校長とバンドン日本人学校(BJS)の櫻田弘道校長が3月で任期を終え、帰国する。両校長に3年間の思いを聞いた。
村下俊文さんは子どもが学ぶ仕組み作りや情報発信に奔走した。
村下さんは20代の時に3年間オーストラリア・シドニーの日本人学校に勤務した経験がある。「いつかまた日本人学校で働きたい」という思いがあった。東京都立の小学校で校長を務めて退職。それを機に、2015年4月から3年間、SJSで新たな教員人生を歩んだ。
他の教員と一丸となって良い学校にしようと奮闘。カリキュラムの予定を作り、計画性を持って教える方針を明確にした。英語を習熟度別に教える仕組みも取り入れた。
「日本人学校では子どもの入れ替わりが激しい。日本に帰っても困らない授業をしないと」と話す。
根底にあったのは「子どもが育っていくためのシステム作りが校長の役割」という信念だった。
一方で、子どもとの触れ合いを大事にした。「子どもたちの意見を聞きたい」と思い、17年6月に「だれでもぽすと」を設置した。楽しみだった子どもたちからの手紙。「こんな物があったよ。先生見に来て」。行ってみたら巨大なミミズがいたことも。
学校だより「つばめ」を通して、スラバヤで過ごす日々の中での何気ない発見や気づき、思いを子どもや保護者に発信する取り組みも続けた。
ジョクジャカルタに修学旅行に行ったことも忘れられない思い出だ。「西には満月、東には朝日を見る」という体験ができた。
プライベートではテニスを楽しみ、バリ3都市スポーツ大会に3年連続での出場を果たした。
インドネシア生活を振り返って感じるのは犠牲祭の時に感じた宗教の大きさだ。「ただ、総じて人は同じだなとも思った。自分自身の世界観が深まった」と語る。
3年間のインドネシア生活に終止符を打つとともに教員人生も終える。「感謝の思いでいっぱい。日本に帰っても忘れられない思い出ばかりです」と話した。(平野慧、写真も)