尾崎辞書、50万語収録へ イ日電子版 編さん29年 執念の集大成
パソコンやタブレット端末にインストールして使えるインドネシア語─日本語の電子辞書「尾崎辞書」の収録語数が48万語を超え、50万語に達する勢いだ。約50年にわたりインドネシアと付き合ってきた元駐在員の尾崎賢悟さん(68)は1990年に辞書編さんを開始。退職後もインドネシアに滞在し、1人で辞書作りに取り組んできたが、「インドネシア生活最後の年」となることしはラストスパートを掛ける。
90年に編さんを開始した尾崎辞書は現在バージョン10。接頭語や接尾辞を理解していなくても、そのまま単語を入れるだけで検索できる。ウィンドウズ対応のパソコンにインストールすると、ウェブ上の単語にカーソルを置くだけで意味を検索できる。
利便性や収録語数などが評判になり、インドネシア語を学ぶ多くの人に利用されてきた。使用者には翻訳を手がける人も多く、インドネシア語学の大家で東京外国語大学の佐々木重次名誉教授にも頻繁に引用されてきた。
一つの単語に訳語をたくさん収録する方式を取っており「やり方を邪道と批判されたこともあるが、多様な意味を入れておかないと訳せない面がある」と実用性重視の方針を貫く。
尾崎さんは毎朝、日刊紙コンパスのウェブ版と向き合う。面白いと思う記事から、未収録の単語を発見する作業や既存収録語のスペルチェックを行う。外来語のインドネシア語訳や俗語なども網羅。毎日欠かさず夕方まで作業しており、新たに発見する単語が少なくなった最近は手紙を書くときの言い回しや熟語の収録も重視している。
大学で学んだ語学を生かしインドネシアに関わりのある仕事をしてきた。翻訳家や通訳たちの集まりが作る英和・和英の電子辞書「英辞郎」にヒントを得て始めたのが「疲れるしお金にならない」辞書作り。夜中に収録語の意味が正しいか気になり、パソコンのスイッチを入れることも。「強迫観念のような感じ」という。還暦を迎えた時や2013年に収録語33万語を超えた時など、一区切り付けようと考えたこともあった。
15年9月には一過性脳虚血発作が起きた。それでも心残りがあり治療後、17年3月に再び来イした。「何度もやめようと思ったけど、その後何をするんだろうと考えたら結局戻ってしまった」と笑う。親しい人以外との交わりは持たず、辞書作りに専念する。「遊んでいる時間がない。辞書を作る作業というのは簡単ではない」と強調する。
現在の収録語は48万7千語。俗語も1万1千語含まれている。「50万語まで残り1万3千語。ことし半ばには終わる」見通しだ。
辞書作りへの執念の源は利用者などからの反響という。「10万語を超えた頃から、辞書を使っている人から学習の近況報告や感謝、励ましのメールをもらうようになった。既存の紙の辞書に不満があり始めた作業だったが、違ったモチベーションも出てきた」。
19年には日本に帰り、東京五輪でインドネシア語関係のボランティアをしたいと考えている。「50万語になったら肩の荷が降ろせる」と話すが、言葉の世界の旅はまだ続きそうだ。
尾崎辞書は7千円。問い合わせは(ozaki323@yahoo.co.jp)まで。複数の利用者がいる場合には、オフィスなどに出向いてインストール、使い方を説明する出張サービスも検討している。(平野慧、写真も)
◇ おざき・けんご 1949年福岡県行橋市生まれ。拓殖大学商学部卒業後、72年山陽国策パルプ(現在の日本製紙)入社。74年から南スラウェシ州マリリに4年間駐在、98〜2000年にはジャカルタに駐在。退職後は丸紅の現地法人に勤務。09年に退職し辞書作りに専念している。