【アジアを駆けた半世紀 草野靖夫氏を偲ぶ(20)】 千客万来のプノンペン 山田孝男

 一度だけ、草野さんと一緒に仕事をした。一九九二年秋。自衛隊のカンボジア派遣が内外の注目を集めたころだ。当時、草野さんは毎日新聞バンコク支局長。私は政治部の防衛庁(現防衛省)担当でカンボジアに長期出張していた。
 草野さんは新築間もないプノンペンの「ホテルカンボジアーナ」に、いちはやくガラス張りの臨時支局を確保した。欧米メディアの記者が続々、草野さんを訪ねてきた。
 私が自衛隊派遣に至る自民党政権の判断、日本の国会、世論状況について(残念ながら日本語で)説明し、草野さんが英訳して同業者に伝えた場面を妙に鮮明に思い出す。インドシナをカバーする日本人記者として鳴らした草野さんなればこその千客万来だった。
 毎日のプノンペン支局には外信部、社会部、政治部、写真部から来た十人近い記者がひしめき、ケンカもあった。草野さんが勝手放題の出張組の世話を焼き、飄々(ひょうひょう)とした例の調子でまとめて下さった。
 もう一つの御縁は〇四年のスマトラ島沖地震にちなむ。当時七六歳で元気だった亡母はこの災害に強い関心を示し、現地に慰霊に赴いた。その際、草野さんにお世話になった。母は昨春他界したが、その遺志により、いただいた御香典の一部で日本語の学習教材を買い、アチェのシャークアラ大学図書館に寄付させていただいた。この時も草野さんにお世話になった。
 さらにもう一つ。草野さんは福島県立磐城高OB、私は元毎日新聞福島支局次長。その縁で、お互い、毎日新聞福島版のリレーコラム「おーい福島」(昨夏スタート)に寄稿した。草野さんは「帰りなん、いざ」(七月九日)と「原子力ムラを解体する」(九月十日)。二編とも築地の国立がん研究センターのベッドで、愛用のアップルのパソコンで書いた。
 病院には二度、お見舞いにうかがった。日本の政局、原発について質問攻めに遭った。「スハルト体制崩壊以来、インドネシアは新しい国をつくってきたのに、日本はダメだねえ」。じゃかるた新聞の元編集長は慨嘆(がいたん)しきりだった。
 私は霊魂不滅をほぼ確信している。草野さん、そちら側で議論の続きをやりましょう。待っていて下さい。(毎日新聞政治部専門編集委員)――毎日新聞月曜朝刊コラム「風知草」筆者。1992年、ともに自衛隊のカンボジア派遣を取材。

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