【アジアを駆けた半世紀 草野靖夫氏を偲ぶ(17)】 「時代を見る目」の確かさ 吉村文成
何かの政治的な集会だったと思います。まだ二〇代と見える、若い日本人が熱心に取材しているのを見かけました。
「あなたが‥?」と尋ねました。
予想した返答が、しっかりとかえってきました。
「じゃかるた新聞です!」
その返事に込められた元気を、強く記憶しています。
わたしがインドネシアに赴任したのは、一九九七年八月でした。直後から、エルニーニョ現象による極度の乾燥、森林火災、アジア金融危機、物価高騰、民衆暴動、学生や知識人による大統領退陣要求デモ‥と、まるで順を追うようにして緊張が高まりました。そして、九八年五月、ついに「帝王」スハルト大統領の退陣というクライマックスを迎えます。
民衆や学生が立ち上がり、多くの政治家や軍人が離反する中で、「強権」といわれたスハルト大統領の権威は失墜しました。政権崩壊は一気に三十以上の新政党を生み出すなど、あらゆる面で自由化を進めました。
そうした自由化の空気をいち早く感じ取り、「じゃかるた新聞」の創設に結びつける―まさに、長くアジア報道に携わり、アジアに関心を持ち続けた、草野さんならではの発想です。アジアを見、時代を読む。草野さんの目の確かさを思わずにはいられません。
その着想を素早く現実にする実行力には、ただ脱帽するばかりです。「じゃかるた新聞」は、草野さんのアジア体験の集大成といえるでしょう。
少子高齢化、インターネットの普及による新聞離れ―新聞はいま、大小を問わず、苦しい状況に置かれています。そんな中で、コミュニティ・ペーパーという発行形態は、ひとつの生きる道だと思います。その点で、草野さんの撒いた「じゃかるた新聞」という種子は、いま、時代の前衛ともいえる位置に躍り出ています。
「じゃかるた新聞」が、インドネシアの日本語世界を広げ、つなぐ紐帯(ちゅうたい)として、新しい道を切り開き、ますます発展していくこと。それこそが、アジアから時代を見つめ、時代を先取りしてきた、草野さんの遺志を継ぐことだと信じます。(元朝日新聞ジャカルタ支局長)――1997―99年の朝日新聞ジャカルタ支局長時代に交流。退職後、龍谷大学教授を経て、現在は東京・練馬区のカフェ・チャイハナ光が丘(ウェブサイト・http://chaihana.sakura.ne.jp /chaihana-hp/index.html)亭主。