【アジアを駆けた半世紀 草野靖夫氏を偲ぶ(13)】 人をいやす存在 山崎幸雄

 二〇〇三年三月に赴任した十五年ぶりのジャカルタはまさに驚愕(きょうがく)という言葉がふさわしい変わりようだった。あの原っぱだった南ジャカルタのクニンガンに、都会並みのビルが建っていた。赴任先の会社があっ旋したホテルに宿泊した翌朝に「じゃかるた新聞」が届いた。驚いた。すぐに購入予約し自宅に配達してもらうことにした。記事の正確さと内容の濃さに大いに感じるものがあった。
 そのときは誰が編集しているのか、発行しているのかは特に関心は持たなかった。
 赴任後二カ月ほどしたある日、電話があった。「草野です。じゃかるた新聞の。山崎さん戻ってきたんだね」「もしかすると毎日新聞の草野先輩ですよね」「昔、一緒に飲んでいたあの草野です」という応答から再びお付き合いが始まった。
 思えば一九八〇年代の前半に毎日の特派員としておられた草野さんは大学の先輩であった。当時の私の直属の上司がタイ語科の同期でもあり、日本人が少ない外国では必然的に会う機会が多くなった。
 ラグラグ会の会合でも一緒だった。でも草野さんの当時の新聞記事の印象はあまり残っていない。その位、先輩としてのお人柄の印象が強かった。
 再赴任後は奥様も同伴されており楽しくお付き合いさせていただいた。これらの中から「人間・草野さん」のお人柄を私なりに要約すれば三点になる。
 第一は「ともかく怒らない」。第二は「一貫してやさしい」。第三は先の一、二をもとに「後輩、若い人への愛情と育成支援」。これらがあふれていた人。
 二〇〇六年に私が離任する時に「じゃかるた新聞特別版」を特別に編集してくださり、記念品として頂戴した。それは、いまも宝物。もし「人をいやす」というジャンルがあれば今回の別れはまさに「巨星墜つ」の一言だ。(群馬ダイハツ自動車社長、1980年代、2000年代のジャカルタ駐在時に交流。)

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