長田さんが回想録出版 来月103歳、蘭領時代に来イ 独立運動の生き証人

 オランダ領時代の1936年に来イし、インドネシア独立運動を支援した長田周子(おさだ・ひろこ、インドネシア名=シティ・アミナ・マジッド・ウスマン)さん(102)が、回想録をインドネシアで出版した。副題「インドネシア独立のために戦ったある日本人女性の物語」の通り、独立運動を指導した夫の故・アブドゥル・マジッド・ウスマンさんと共に歩んだ人生を振り返り、本にまとめた。独立の歴史の「生き証人」として、長田さんは「この本が次の世代の役に立つことを願う」とつづっている。

 甲府市出身の長田さんは、日本女子大学卒業後の35年、独立後の国造りを見据えて明治大学に私費留学していたスマトラ島パダン出身のマジッドさんと出会った。社会福祉を学んだ長田さんは、植民地支配下で虐げられた人々の様子を聞いて来イを決意。翌年、21歳の若さでオランダ領東インド(当時)のパダンに渡り結婚した。
 マジッドさんは市議会議員や新聞記者を務めながら、民衆に独立を呼びかけていた。だが41年12月、政治犯としてオランダに捕らえられ、夫婦と2人の子どもは西ジャワのガルットの収容所に監禁された。着るものも食べ物も与えられず、長田さんはマラリアにかかった。
 42年3月に一家が解放され、パダンへ戻ってからは、マジッドさんはパダン日報の主筆やパダン市長を、長田さんは日本語教師などを務めた。長田さんは、スマトラで「GIYUGUN(義勇軍)」という名の郷土防衛軍をつくることを提案するなど、夫婦で独立への機運を高めていった。
 だが日本軍による独立の約束はなかなか実行されなかった。43年12月、一家は日本に向かい、日本軍司令部に独立を直接交渉するも、日本軍によって軟禁状態に置かれることになる。
 45年8月、疎開先の甲府市で、ラジオを聞いていた時だった。雑音まじりの放送から、スカルノの独立宣言とインドネシア・ラヤが流れた。紛れもなく、祖国の独立を知らせるニュースだった。長田さんはこの時のことを「(夫の)マジッドはとてもうれしそうで、目がきらきらと輝いていた」と振り返り、「私たちが取り組んできた独立闘争の末の、待ち望んだ結果だった」と喜びを語っている。
 マジッドさんは55年、47歳の若さで病気で亡くなり、4人の子どもたちは米国、日本、ドイツ、インドネシアと別々の国に渡った。独立への貢献を認められ、長田さんは89年、夫に代わって西スマトラ州政府から叙勲を受けた。長田さんは本のまえがきで、「子どもたちに両親が経験した人生について知ってもらい、その意志を受け継いでほしかった」と出版への思いをつづっている。
 夫の死後、長く日本で暮らしていたが、「再びインドネシアで暮らしたい」と2009年、長女のサルミヤさんと南ジャカルタに移り住んだ。16年4月に日本に帰国し、現在は東京で暮らしている。
 長田さんは来月4日、103歳を迎える。自ら添削し、30年の年月をかけて完成させたという本を東京で受け取り、「生きている間に本ができるとは思いもしなかった」と感極まった様子だという。
 本はインドネシア語で381ページ。9万5千ルピアで、初版は千部。問い合わせはオボール出版(電話021.3192.6978)へ。(木村綾)

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