【電気街グロドック 再生への道】(上) 上からシャッター街に 歴史あっても客は来ず パサール・グロドック
東南アジア最大規模の電気街として歴史を刻んできた西ジャカルタの華人街グロドック。多様な電化製品が安価に購入できるとあって、各地から訪れる客でにぎわってきた。だが近年、ショッピングモールの乱立やオンラインショッピングの拡大、渋滞の悪化などで客足が遠のき、厳しい向かい風が吹いている。電気街の商人たちの姿を追った。
マンガブサールからコタ方面へ北上すると、左側に見えるビルがパサール・グロドック。1階は食品を売る市場が広がり、2〜6階はゲーム機を中心にテレビやパソコン、カメラ、家電製品などの店が並ぶが、ビルの中は薄暗い。エスカレーターで上がっていっても客とは一度もすれ違わなかった。
上階に行くほど閑散とし、活気がなくなる。5、6階では約8割の店のシャッターが下ろされ、「1年2千万ルピアで貸します」と値段や連絡先を書いた手紙が張られている。通路のあちこちに放置された商品ケースが並ぶ。時間をもてあました店員たちが、カウンターに置いてあるブラウン管テレビにゲーム機をつなぎ、遊んでいた。
一方、慣れた手つきで電化製品を梱包し、台車に乗せて運ぶ従業員の姿をよく見かける。客足が遠のいた今、店舗だった場所は倉庫や事務所として使用。地方へ商品を卸しているという。
5階で息子と一緒に店を構えているアサウさん(58)。かつてはパサール・グロドックとプラザ・オリオンを結ぶ歩道橋の上で店を構えていたが、1998年5月暴動時に焼き討ちに遭い焼失した。その後、2001年にハルコ・プラザに移転。05年には、客が多く最もにぎわっていたこのパサールに移動してきたという。
「客が来ないから、当然店も閉まっていく」とアサウさん。店を閉めた商人たちは、コンピューターなどを販売する新興の電気街、北ジャカルタ区マンガドゥアや、新しいライフスタイルとなったショッピングモールなど、ここより客足が多い場所へ移っていったという。
アサウさんも今では地方へ商品を卸すのが業務の中心になっている。「歴史ある場所だが、もう4年もすれば、訪れる客も商人もいなくなるだろうね。でもずっとここでやってきたから、何とかグロドックで店を続けたい」と話すが、「客足の多い場所で新たな店を構えるには金が要る。でも売り上げが伸びないから難しい。先のことはまだ分からない」とぼやいた。
グロドックは98年のスハルト政権崩壊直前、華人を標的にした暴動で略奪や放火の標的になり、店の入った建物の多くが焼き討ちにあった。その後、建て替えなどを実施し、にぎわいを取り戻してきた。
今は「さびれた電気街」とも言われる一方、既存ビルの改装や新たなモールの建設のほか、コタに近く歴史的建造物や中国寺院が残るため、観光地として整備を進める声もある。(毛利春香、写真も)(つづく)