【アジアを駆けた半世紀 草野靖夫氏を偲ぶ(7)】 絶妙なフットワーク 山田道隆

 広大なインドネシアで、そして多様性に富み、時には硝煙と独裁のにおいさえ漂わせた東南アジア域内で、草野靖夫さんはその体力が燃え尽きるまで持ち前の「絶妙なフットワーク」を駆使し、縦横に取材を続けた。
 ぽっちゃり体形に格段の運動神経が備わっていたとの印象はない。だが、取材のフィールドに立った草野さんは打って変わり、絶妙なフットワークを発揮し、発想も柔軟かつ創造的。「してやられた」と臍(ほぞ)をかんだのは一度や二度にとどまらない。
 一九八三年六月十一日、二〇世紀最大級の皆既日食がジャワ島で観測され、草野さんと私は仏教遺跡ボロブドゥール寺院を取材現場に選んだ。正午前、寺院が闇に包まれ始め、ストゥーパのシルエットが幻想的に浮かび、ダイヤモンドリングが続いた。時差と電話事情から私は東京への記事送信を朝刊用に回し、壮大な天体ショーを堪能。その時、草野さんの姿が寺院から消えていたことに全く気付かなかった。
 数日後、ジャカルタに届いた毎日新聞には魔人ラーフの迷信を信じ、せっかくの皆既日食を家の中でTV観賞した住民のルポが載っていた。草野さんはフットワーク良く関連取材に飛び回り、さらに近くのマグラン市に足を伸ばして電話を確保、ジャワ精神文化の一端に迫るルポを本社に送っていたのだ。
 一九九一年一月、バンコクから軍事独裁下のミャンマーに二人で入り、貴重な地方取材を敢行した時には、草野さんの鋭い嗅覚と機転に助けられた。中部マンダレー市で僧侶らを取材中、草野さんが柔和な表情を一変させ、厳しい視線を前方に向けた。「情報部員がいる。面倒なことになるかもね」
 予言通り、ロンジー姿の男三人がホテルでわれわれを待ち受けていた。だが草野さんは動じず、三人をホテルの食堂に招いて中国製ビールでもてなし、自分のペースに引き込んでしまった。約二十分後、三人とは笑いながら握手をして別れた。その後の取材も支障なく続けられた。
 草野さんは今、新たな世界でどんなフットワークを見せているのだろうか。(元共同通信社記者――1980―90年代初めに、ジャカルタとバンコクで駐在時期が重なり、交流を深める)

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