【アジアを駆けた半世紀 草野靖夫氏を偲ぶ(4)】 30分が3時間に 安藤一生
私が草野さんにお会いしたのは三十年も昔でした。そして最後にお会いしたのは一昨年の十二月十七日。いつも私と草野さんが話し始めると話が止まらなくなり、三十分のつもりがあっという間に三時間になってしまいます。
その時も、少し体調が悪いようでしたが、それでもいったん話に火がつくと、もう口から泡を飛ばす勢いで話し、時間など吹っ飛んでしまいました。
二〇〇二年四月、私はジャカルタ日本文化センターの所長として再びインドネシアへ赴任しました。一九八二年にインドネシアに別れを告げてからすでに二十年が経っていました。
日本文化センターの仕事は、日本語の普及事業や日本の文化紹介事業など多岐にわたり、草野さんには、日本語弁論大会の審査員を引き受けてもらったり、文化事業もたくさん取材していただきました。
今でもなつかしく想い出すのは、着任してまもなく草野さんにあいさつに行った時のこと。話が弾んでランチタイムにずれ込み、一緒に食事をとろうということになりました。その時、レストランで草野さんから「何をやりたいか?」と聞かれ、とっさに「囲碁かな」と答えたのを覚えています。マレーシアやインドでも囲碁普及事業をやったので、ジャカルタでは四カ国親善囲碁大会をやりたいと考えました。
囲碁は言葉の壁を越えて意思疎通ができるゲーム。インドネシアにはチェス文化があるので、国際交流のプログラムとしても有効だと思っていました。もちろんこのような囲碁大会を開催できたのは、日本棋院のプロ棋士やジャパンクラブの囲碁クラブの協力があってのことでした。しかし、最初に草野さんと会っていなかったらこの事業は実現しなかったかもしれません。おかげで、小泉首相の靖国神社の参拝問題で中国や韓国で反日気運が高まった時でさえ、ジャカルタの囲碁大会ではいつも楽しく手談を行うことができたのです。
もうジャカルタに行っても率直に話してくれる草野さんには会えないのだと思うと、なんだか寂しい想いでいっぱいです。心からご冥福をお祈りします。(元国際交流基金ジャカルタ日本文化センター所長――1978年から82年、2002年から07年の2回にわたりジャカルタ駐在)