インドネシアの「アラブ化」?
サウジアラビアのサルマン国王の豪勢なインドネシアおよび日本訪問が話題になった。経済効果抜群の訪問に報道は歓迎一色だったが、インドネシア人の多くは冷ややかに見ていただろう。
サウジアラビア(サウード家のアラビア)の支配者は元々平凡な豪族だった。その信仰のあり方が正統だという合意があるわけでもない。女性の人権や神秘主義のような信仰形態を認めないことが反発を生んでいる。
むしろ「アラブとは違う」ことがインドネシアのムスリムの自己認識において重要な要素となっている。さらに、出稼ぎ家事労働者の扱いや売春目的で訪れる一部観光客への反感もある。
「アラブと違う」との主張はトルコやイランのような非アラブ国でも一般的である。そこで「アラブ」と想定されているのは多くの場合サウジである。
しかし、インドネシア国内の文脈に限っても、「アラブ」にはいくつもの顔がある。
東南アジアのアラブ系住民はそのほとんどが現在のイエメン東部のハドラマウト地方から来た人々である。聖者信仰など、インドネシアでしばしば「土着」とされる信仰形態の核にはアラブ系住民の存在がある。とくにハビブと呼ばれる預言者ムハンマドの子孫たちが尊敬を集めてきた。サウジが禁止する神秘主義教団もアラブ系が率いるケースが多い。
他方、サウジ式の信仰形態を輸入しようとするサラフィー主義の影響拡大を称して「アラブ化」ということがある。
アホック知事の「宗教冒とく」に抗議した昨年末のデモの主催団体には、サラフィー主義者たちも名を連ねていた。彼らはアラブ系ではなく、サウジ留学経験者である。
特定の信仰形態を押し付けようとするサラフィー主義には、一般の抵抗も強い。こうしたことから、近年彼らもインドネシア的な服装を容認するなど、柔軟さをアピールしている。「サラフィー主義のインドネシア化」である。
サラフィー主義者の大半はテロに賛成しないし、少数派などへの暴力行為にも関与していない。中間層向けの教育や布教を行っている。
大規模なデモはサラフィー主義の拡大を意味するものではない。ただ、彼らが表舞台に出てきたということは、サラフィー主義が社会的により許容されるようになっている、とはいえるかもしれない。
(見市建=岩手県立大学総合政策学部准教授)