「憎んでも夫は帰らない」 襲撃事件から1年 アフマディア被害者ら再会
昨年二月六日、バンテン州チクシックで、異端派イスラムのアフマディア信者が暴徒に襲撃され、三人が死亡する事件が発生してから一年。家族や財産を失った被害者たちはどんな思いで日々を生きているのか。事件当日、シラトゥラフミ(親戚や友人同士が絆を深めるための懇親会)でチクシックのアフマディア信者を訪れ、襲撃を受けた首都圏の信者八人は九日、西ジャワ州ボゴール県クマン郡に暮らす、事件被害者の遺族宅を訪ねた。
遺族の一人ラフマさん(三〇)は、事件で夫のロニーさん(当時三六)を失った。事件前は北ジャカルタのムアラ・バルに住んでいた。
「シラトゥラフミに行ってくる」。六日の朝、夫が見せたのは、いつもと同じ笑顔だった。最後に交わす言葉になるとは思いもよらなかった。午後九時、友人から電話があり、「ロニーが死んだ」と伝えられた。信じられなかった。二回目の電話でようやく、夫の死を認識した。
「今の生活はどうか」「子どもたちは元気か」。訪問客の一人、デデン氏の問いかけに、ゆっくりと笑顔を作って答える。事件後、不登校が続いた長女マフダリサさん(一〇)は二週間前にようやく通学できるようになった。だが、二女タティアプリアニさん(六)はまだ父の死を知らない。オジェック(バイクタクシー)や行商をしていたお父さんは「仕事で忙しい」と話す。ラフマさんが何度言っても、父の死を理解できないという。
現在、ラフマさん一家はアフマディア事務局から家を提供され、一カ月二百万ルピアの援助を受けている。ラフマさんは「強硬派と呼ばれる人を憎んでも仕方ない。今の生活が変わるわけでもないし、夫は帰ってこない」と話した。
事件後、バンテン州政府はアフマディア信者の財産補償など被害者の支援を行っていない。人権団体は、ユドヨノ大統領がアフマディア問題に対し、沈黙を続けていると批判しているが、解決に向けた動きは見られない。
西ヌサトゥンガラ州ロンボク島でも二〇〇六年に発生した強硬派による襲撃で、アフマディア信者が難民化。財産補償などは行われず、難民居住区での生活が定着した。アフマディア事務局のラフマット広報担当は「襲撃の被害者が出ても、問題が放置されたままだと、第二、第三のロンボクが起こる」と訴えた。