日イの懸け橋に 6年ぶりに古巣復帰 サッカーの松永さん
6年ぶりに古巣のプルシブ・バンドン(西ジャワ州)に復帰した松永祥兵さん(28)=静岡県三島市出身、背番号17=が6日、大統領杯2017で復帰初戦を迎える。2011年以降、国内の3チームを渡り歩いてきたインドネシアサッカー界のベテラン日本人選手。経験を生かし、日イの懸け橋になりたいという思いが芽生え始めたという松永選手に、今後の目標とビジョン、リーグの現状を聞いた。
松永さんのポジションはMFで、FWに近いトップ下。国士舘大学サッカー部時代の08年、ドイツで選手選考会を受け、19歳で強豪シャルケと2年契約。10年に日本のJ2愛媛FCに移籍するも出場機会に恵まれず、11年に退団した。
その後、代理人から「3日以内に来てほしい。今日中に決めてほしい」というプルシブ・バンドンからの突然のオファーを即断し、同年4月下旬に22歳で単身、インドネシアに渡った。
レギュラーに定着した加入当時、バンドンは一般的なチームだと思っていた。しかし、12年に他チームへ移籍後、「(バンドンが)選手みんながプレーを夢見るチームだと初めて分かった。それから(復帰を)意識するようになった」。
■父親の自覚芽生え
16年1月に日本人女性と結婚。子どもを授かると、「自分一人だったら何となくで生きていけるが、妻と子がいるとそうはいかない」と意識が変わり、家族を養う父親としての自覚が芽生えた。
「得点を取るより、仲間に取らせる」プレースタイルで、パスを受ければ攻撃のスイッチを入れられるという強みに、得点という目に見える結果にこだわる姿勢が加わった。
昨季は、年間目標15得点にあと一歩の13得点を獲得。オフには、バンドンなど複数のクラブから移籍のオファーが来た。6年ぶりの古巣復帰を決め、「素直にうれしい」と喜ぶ。今季も目標は15得点。ほとんどがインドネシア代表選手という古巣で心機一転、レギュラー争いに挑む。
■日本超える可能性
選手として若くないと感じている松永さん。引退後も「日イのパイプ役になりたい」とインドネシアでの活動続行を思い描く。
15年、日本で人材派遣会社に務めたこともあったが、「(6年間に)身につけた言語能力とサッカー関係者との人脈を生かしたい。このままでは宝の持ち腐れになってしまうと感じ、踏ん切りをつけた」という。
国内リーグは14年以降、給与未払い問題やリーグ中断が原因で、引退や他国に移籍する選手が続出。日本人選手は松永さん一人という事態に陥る中で、16年に所属したプルシバ・バリックパパン(東カリマンタン州)と、移籍先を探していた日本人選手の能登正人さん(26)との間を取り持ち、日イ・サッカー界の橋渡し役となった。
また、松永さんは「日本人が教えるサッカー教室がタイやシンガポールにあるが、インドネシアにはない」と指摘。教室開設や日本から選手を招いたイベント、インドネシア人選手の日本移籍支援など、いろいろな「日イ協力」の形を模索しながら、「良い指導者を入れ、若い世代からレベルアップすれば、日本を超える可能性を秘めている。この国の発展に貢献していきたい」と語った。(中島昭浩、写真も)