一面の暗闇、泥の海 洪水被災地ルポ 命奪い、生活飲んだ鉄砲水 西ジャワ・ガルット 

 チマヌク川の洪水発生から3日目の23日午前1時半ごろ、ガルット県の被災地チマチャン村に入った。停電の続く川沿いは真っ暗闇。目を凝らし恐る恐る歩を進めると、ずぼりと足が沈む。鉄砲水に飲まれた村一帯では、大量の泥が路地を埋め尽くしていた。    

 川沿いの路地は現在も、深さ30センチほどの泥水で覆われている。乳製品工場職員のタタンさん(40)は、自宅の床を覆った泥をかき出しながら、「避難時は首の高さ(約1.6メートル)まで水が来た。子ども2人を肩に乗せ、妻を右腕に抱えて必死に泳いだ」と当時を振り返った。
 鉄砲水の発生当日は午後10時に就寝し、約1時間後、妻が浸水に気づいた。「起こされてから30分で一気に水位が上がった。避難した後、家の屋根まで水につかった。水深は4メートルを超えていた」という。他の住民も、水位は4〜7メートルだったと話す。
 チマヌク川沿いには高さ12メートルの橋が二つかかる。北部のガルット・バスターミナルからはこれらの橋を渡り、中心部へと向かう。鉄砲水は一時、橋まで達したという。
 現地入りしていた国軍広報担当によると、豪雨は20日午後8時から翌21日午前3時ごろまで降り続いた。ガルット県から南西の方向にあるパパンダヤン山で地滑りがあり、チマヌク川の上流が一時せき止められた。20日午後11時前にせき止めていた土砂が流れ、たまっていた水が一気に川に流れ込んで鉄砲水が発生、被害が拡大したという。
 被災から3日、住民らはたまった泥のかき出しに追われている。支援物資のポスコ(詰め所)で配布を管理しているハルン・ムルヤナさん(43)は「コメや水、オムツや服は既に十分ある。必要なのは泥の清掃だ」と話す。
 国軍やインドネシア赤十字(PMI)、国家警察が協力し、午後1時半過ぎにようやく動き出した放水車の水で排水路への水路が完成し、泥をかき出すための準備が整いつつある。「泥が無くなればもっと支援が届く。発生から1週間が経過する前に、村をきれいにしたい」と話した。
 泥水は住民の命を奪い、生活を飲み込んだ。川から30メートル離れたところに住むイワン・スティヤワンさん(41)は川岸で、泥にまみれた証明書をはけで1枚1枚丁寧に洗って干す作業を続けていた。
 「約40年ぶりの大洪水だった。卒業や結婚証明書、土地の権利書、出生証明書などをまとめていた箱だけしか持ち出す時間がなかった。これらがないと就職もできなくなってしまうので、既に高さ50センチに達していた洪水の中、必死に抱えて飛び出した。(この直後)家は全壊してしまった」と話した。
 ガルット県では、チマチャン村とルウィダウン村、ドクトル・スラメット病院周辺で大きな被害が出た。23日時点の県全体での被害状況は、248戸が流され、全壊186戸、半壊79戸、浸水445戸。(中島昭浩、写真も)

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