「帰らなかった日本兵」増刷 福祉友の会が500部、墓参も

 絶版になっていた残留日本兵の記録集「インドネシア独立戦争に参加した『帰らなかった日本兵』、一千名の声」がこのほど500部増刷され、記念式典が行われた。記録集を編集した福祉友の会のヘル・サントソ衛藤会長は「発刊から11年たち、記録集の存在さえ知らない人が多く、改めて知ってもらいたい」と話している。
 記録集は日本の敗戦後、インドネシアにとどまり、インドネシア独立戦争に参加した日本兵らの回顧録や残留者名簿などをまとめたもので、2005年に発刊された。部数は千部だった。
 ヘル会長とミエ学園小倉ミエ基金のマリコ・スルヤント代表は先月31日、関係する在留邦人や企業有志代表を招き、南ジャカルタの福祉友の会事務所で増刷記念式を行った。また、式に先立ち、残留元日本兵も眠るカリバタ英雄墓池を訪れ、元日本兵らの墓に献花・焼香した。
 ヘル会長は式典で、残留元日本兵・元日本人がインドネシア独立戦争でいかにインドネシアに貢献したかを説明。また、マリコ代表は基金の日系三世、四世に対する奨学金事業を紹介した。
 福祉友の会は1979年7月14日、インドネシア独立戦争に貢献した残留元日本兵士・日本人の相互扶助組織として、日イ両国の絆の強化と福祉向上を目的として設立された。福祉友の会は奨学金制度を設け、88年から15年まで、友の会メンバーの三世、四世646人に奨学金を支給した。
 一方、戦争中にスラバヤ海軍病院に勤務していた小倉ミエさん(10年に旭日双光章受章)は生前、7千万円の私財を福祉友の会を通じ寄付、日本語のできない日系子弟のためにミエ学園が設立された。同学園は10年に閉鎖、ミエ学園の名前を残したまま文化センターとなり、経済連携協定(EPA)に基づく看護師・介護福祉士の日本語習得を支援している。
 ミエ奨学金の基金母体は小倉さんの私財だけではなく、大きな支えは日本国内の戦友会であり、元海軍士官、国会議員など多くの寄付から成り立っている。
 ヘル会長、マリコ代表は、小倉ミエさんの生前の言葉として「インドネシアへの恩返しの活動は無償の愛」を紹介した。ヘル会長はその場で「日・イ無償の愛の会」の設立を呼びかけ、全員が賛同した。ヘル会長は「今後も日系子弟の支援と二国間の友好親善にまい進したい」と話した。(濱田雄二)

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