ここは箱根じゃない 記者が同僚と完走 ジャカルタ「絆」駅伝
ジャカルタ絆駅伝にインドネシア人の同僚と共に参加した。入社して半年。スポーツイベントに参加するのは初めてだ。日本の中学・高校では6年間、毎年10キロを走る行事があり、大学でも結構走っていたので、28歳の今でも「3キロなら」と軽い気持ちでエントリーしたのだが……。
念のためと思い、事前に5回ほどランニングを試みたが、毎回、3キロどころか1キロ走っただけで歩いてしまう。「このままで大丈夫だろうか」と不安を抱えながら夜明け前のブンカルノ競技場で、午前6時半のスタートを待った。スタッフから渡されたたすきを手にすると、正月は必ずと言っていいほど見ていた箱根駅伝を思い出し、「何が何でも完走する」という気持ちがわいた。
しかし、ここは真冬の箱根ではなく、ジャカルタである。日の出とともに気温が上昇し、スタート時にはすでに汗ばんでいた。第1走者のディヤさんからたすきをもらい、気合いを入れてスタートした。最初の1キロまでは声援もまばらで、心地よい風を感じながら走った。
1キロを過ぎると沿道の声援が大きくなり、レースに参加していないのに走る人も多くいて、コースがあってないようなものだった。やはりジャカルタである。
2キロ過ぎの地点で係員からコップの水をもらい、水分補給と首に水をかけたが、じりじりと体力が奪われていくのがわかった。ゴールに近づくにつれて声援が一段と大きくなり、同僚たちの「がんばれー」という声が聞こえたときは死に物狂いで走った。
ところが第3走者のロフィさんが見つからない。インドネシア語でゼッケンナンバーを叫びながら20〜30秒ほどうろうろ。ようやくたすきを渡せたときはほっとした。
その後は応援に回り、最終走者のアブドラさんがゴールしたときは全員で手をとって喜び合った。入賞にはほど遠い記録だろう。だが、チーム全員が無事に完走した。たすきはインドネシア人から日本人、日本人からインドネシア人へと手渡された。インドネシア人の同僚との距離が一歩縮まった気がした。(上岡尚樹)