【火焔樹】 お互いサマサマ
会社で、家族のことを理由に休暇を取り、遅刻、早退する人がとても多い。奥さんや子どもが病気なので病院に付き添うということであれば、家族思いの強い人と感心する。
だが、親戚の集まりがあるので早く帰らせてほしいという理由には首を傾げてしまう。しかし、インドネシアの生活習慣をよく観察すると、みんなで助けあう(ゴトン・ロヨン)お互いさまの精神が根強く残っていて、叔父さんの奥さんの弟の奥さんのお姉さんが亡くなったというような、遠い親戚関係でもお葬式に顔を出して何か役割を果たそうとするのである。
「その人のことよく知っているのか」と聞くと、「写真で見たことがあるだけ」という答えだ。いくら親戚でもと思うが、それでも顔を出す理由は、自分に問題が起こったときに、助けてもらえるようにという気持ちが念頭にあるようだ。
つまり、親戚縁者の集いに顔を出すことによって、いつ降りかかるとも知れない災難を切り抜けるための援助を受けるため、伏線を貼っているのだ。
集まりに顔を出さないでいると、困ったときにだけ顔を出してと言われるのを恐れるのである。社会保障が完全に確立されていないインドネシアでは生活の知恵といえる。
無論、そんな現実的な打算だけではなく、お葬式では、「一人でも多くの人に祈りをあげてもらえれば天国に行ける」、結婚式などおめでたい席上では、「一人でも多くの人に祝福されれば幸せになれる」という純粋で宗教的な信念も根底にはあるのだ。
ともに祈り、喜べば、結果として、幸せになるという考え方を理解し、いつか自分も何かの時に皆の優しさに触れることがあると思ったとき、突然の休暇や早退の申し出を断る理由は私にはない。
日本の人が言うお互いさまとは、一方通行ではなく何らかの形で平等性がある時に成立するものだろう。しかし、インドネシアでは、生きていることそのものが神の子として皆平等であり、現世での施しは、いつか来世へ行ったときの自分の位置を決めるために重要なことなのだ。
「先を考えないインドネシアの人」とよく言われるが、はるか先を皆真剣に考えて懸命に生きている。(会社役員・芦田洸)