長田さん、日本へ 夫の独立運動支え 101歳 「新しい道開ける」

 在留邦人最高齢で101歳になる長田周子(おさだ・ひろこ、インドネシア名=シティ・アミナ・マジッド・ウスマン)さんが、日本に帰国する。「気楽で、何の不足もなく十分楽しめた」という約7年間のジャカルタ生活に一区切り。1936年に初来イし、夫と共にインドネシア独立を支えた、今も色あせない経験と今後を語った。

 長田さんは甲府市生まれ。日本女子大学で社会福祉を学んでいたとき、インドネシア独立後の国造りを見据えて明治大学の私費留学生として来日していた、後に夫となるアブドゥル・マジッド・ウスマンさんと出会った。36年、アブドゥルさんの故郷であるオランダ領東インド(当時)の西スマトラ州パダンに渡った。「その時のここの人間というのは、はっきり言えば奴隷ですよ。今のような生活なんか夢にも知らない。極端に、自分がわからなくなるくらい、他の力で抑えられていた」
 市議会議員や新聞記者を務めながら、独立運動を展開した夫を支えた。やがて政治犯としてオランダ軍に捕らわれ、一家は収容所に入れられた。独立後の55年にアブドゥルさんが急死。89年には夫に代わり、独立先駆者として西スマトラ州政府から叙勲を受けた。
 これまでの道のりを「いつでも貧乏人だった」と振り返る。「だけどね、お金がなくても何とも思わないんです。今まで考えてたことが、成功して、もう独立したわけだから、これ以上何を望むことがある?」
 夫の死後、東京を拠点に通訳などをして生活していたが、「再びインドネシアで暮らしたい」と2009年、長女で産婦人科医のサルミヤさん(76)と南ジャカルタ・チプテで暮らし始めた。
 14年、安倍晋三首相から100歳高齢者の表彰を受けた。同年、山梨県の横内正明知事(当時)が来イし、長田さんを訪問した。「長生きはするもんだ、と思った」。これをきっかけに山梨県人会が発足し、名誉会長として在留邦人との交流や日イの関係発展にも寄与してきた。
 今後はサルミヤさんと共に帰国し、東京で暮らした後、いずれは103歳の姉、笑子さんらが暮らす、故郷の甲府市に移り住む予定。「次へ行けば苦労もあるだろうけど、また新しい道が開けると思う」と前向きだ。パダンでアンダラス大学の学生相手に日本語教師をしていた記憶がよみがえる。「時代が変わっているから、私の考えは通用しないかもしれないけど、希望者がいれば、学校で(自分の体験などを)話してお手伝いがしたい」と考えている。(木村綾、写真も)

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