地域が飛躍した3年半 高い質で日本に存在感 15日帰任の山田ASEAN大使
二〇一〇年四月に日本政府が東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国以外では初となる常駐で専任のASEAN大使に任命した山田滝雄さん(五二)は十五日、〇八年八月七日に駐インドネシア大使館次席公使として着任して以来、三年半のジャカルタでの任務を終えて帰任する。昨年五月にはASEAN事務局のあるジャカルタに日本政府代表部が設置された。「日本再生のための死活的なきずな」の強化に最前線で奔走してきた山田さんに、インドネシアとASEANが国際社会での重要性を飛躍的に高めた三年半について聞いた。
■国際社会の信任高める
山田さんは「ASEANは以前からさまざまな会議をアレンジしてきたが、各大国はそのイニシアチブを評価しつつも、その重要性が胸にストンと落ちていなかった」と振り返る。
だが、先進国経済の低迷が続く中で、再び「世界経済の成長エンジン」と呼ばれるようになり、中国とインドの両新興大国にはさまれる地政学的要因から政治・安全保障上の重要性も高まった。米国は「アジア太平洋世紀」と宣言し、政策重点をこの地域へ大きくシフトした。
インドネシアが議長国を務めた昨年には、従来の内政不干渉の基本方針から一歩踏み出し、タイとカンボジアの国境紛争にASEANとして関与した。南シナ海問題で中国との協議が進展を見せ、ASEANの大きな不安定要因の一つだったミャンマーの民主化を後押し。「インドネシアにとってもASEAN全体にとっても国際社会全体の信任を高める成果を残した」と山田さんは分析する。
■元気な長兄がけん引
日本も、存在感を高めるASEANとの関係再強化に踏み込んだ。政府代表部を開設したほか、十一月にバリで行われた日ASEAN首脳会議では八年ぶりの共同宣言「バリ宣言」を採択。東日本大震災後はインドネシアが主導してジャカルタで日ASEAN特別外相会議が開かれた。
前回の共同宣言が採択された〇三年も議長国はインドネシア。山田さんは「日本と価値と利益の双方を共有しているインドネシアが議長国になった年に日ASEAN関係は進展してきたといえる」と指摘する。
「経済危機と政治危機が同時に襲った一九九八年以前、インドネシアはASEANの長兄としての役割を果たしてきた。九八年以後、長い停滞期にあったが、昨年一年の過程は、インドネシアがいよいよ元気になってASEANを引っ張っていくんだという意思と能力を勝ち得たことを強く印象付けた。兄貴が元気だと家族全体も元気になる」
■危機乗り越え強固に
山田さんがジャカルタに着任したのは日イ国交樹立五十周年で記念行事が目白押しだった〇八年の八月。リーマンショックで世界に激震が走る直前だった。
「危機直後は、日本を含めた国際社会もインドネシア政府自身も『この危機をインドネシアは乗り越えられるのか』と心配した。だが結果的には金融支援策を発動する必要がないほどインドネシアは元気だった。世界に対してインドネシア経済の懐の深さ、ポテンシャルの大きさを印象付けたこの年は、インドネシアにとって分水嶺になった」
山田さんは「親友がいよいよ強くなっていよいよ復活してくれたというのはこれほどありがたいことはない」と述べ、インドネシアが飛躍した三年半は「日イの関係が飛躍的に伸びた三年半」でもあったと振り返った。
■最高の日本人社会
そのインドネシアで山田さんが奔走したのが、〇九年から毎年開催されているジャカルタ日本祭り(JJM)。山田さんが「世界で一番素晴らしい」と太鼓判を押す日本人コミュニティーが支えた手作りのイベントだ。
「多くの人がインドネシアのためなら、日本とインドネシアの関係のためなら一肌脱ごうという気持ちでいる。ジャカルタ日本祭りの開催は、そういうコミュニティーと日本に好意を寄せていただいているインドネシアの方々の存在あっての賜物だ」
現場で具体的に支えた人々と祭りを三回開催できたことが、インドネシア在勤の一番いい思い出の一つだという。
■新しい時代の端緒
近年、中国や韓国が経済進出を強め、ASEAN地域におけるこれまでの日本の相対的な優位性が薄れてきているとの懸念が上がっている。
だが「日本がそれほどあわてる必要はない」と山田さん。日本は製造業を中心とした企業が息の長い活動を続け、政治・安全保障面でも一九七七年に「心と心の触れあう」関係を構築するとした「福田ドクトリン」を基礎に関係を築き上げたきた。
現在では中小企業の進出も活発化してきており、山田さんは「本格的に技術と資本の移転を伴って進出するという新しい時代の端緒にわれわれはいる」と語る。
「日本らしい質の高い丁寧な、相手に対する尊敬を忘れないという心のこもった協力を続けていけば、おのずと道は開けてくる。日本人自身が自分を見失わないでやるべきことをやれば、日本がASEANで存在感を失うことはない」