独立宣言起草を「再現」 子・孫らが初めて一堂に 故前田少将の長男、故スカルノ大統領の孫、故ハッタ副大統領の次女ら

 中央ジャカルタ・メンテンにある独立宣言文起草博物館で16日、70年前のインドネシア独立宣言起草に関わる人たちの子孫が初めて一堂に会した。旧日本軍の故前田精(ただし)少将の長男、故スカルノ大統領の孫、故ハッタ副大統領の次女らが顔を合わせ、父や祖父の話をしながら交流を深めた。

 1945年8月16日、現在は博物館になっている前田少将邸宅に集まったのは後のスカルノ大統領、ハッタ副大統領、スバルジョ外相ら。日本が連合国軍に降伏した以上、独立宣言を急がなければ治安が維持できないとの判断から協議をし、前田少将は文書起草のための場所を提供したという。
 徹夜で文言を起草したスカルノ大統領らは翌17日、少将邸を出発、現在は独立宣言記念公園になっている旧スカルノ邸まで行進し、家の中庭で独立宣言を行った。
 70年後に集まって、その協議のときに使われたソファーに座ったのは、前田少将の長男、西村東亜治(とあじ)さん(72)、スカルノ大統領の孫、ロミー・スカルノさん、ハッタ副大統領の次女、グマラ・ラビア・ハッタさんと三女のハリダ・ヌリア・ハッタさん、スバルジョ外相の三男、ロハディ・スバルジョさんら。
 前田少将はインドネシアでは、独立を支援した英雄的扱いを受けているが、西村さんは父について、戦犯として裁判にかけられたものの無罪となり、「軍事的な問題からも政治的にも手を引き、一般市民として暮らした」と話す。また「父は口数の少ない人でインドネシアのことを話すことはなかったが、インドネシアのことをいつも思っていた」という。
 西村さんは17日に行われた独立70周年記念式典に、博物館を管轄する教育・文化省の関係で招待された。西村さんはジャカルタに生まれたが、3歳ごろ、軍トップの「前田姓」では何が起こるかわからないため、母方の祖父の姓にして日本に引き揚げたという。
 ジャカルタには叔母が居住し、インドネシアはこれまでにも訪れたことがある。ただ、博物館を訪れたのは初めてで、「両親の家を見たかった」と話している。(濱田雄二)

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