草野靖夫氏が死去 じゃかるた新聞初代編集長  アジアの懸け橋目指す

 じゃかるた新聞を一九九八年十一月に立ち上げ、インドネシアにおけるコミュニティー紙としての地位確立や若者の人材育成に尽力した草野靖夫初代編集長(現・シニアエディター)=写真=が二日午前九時半ごろ、悪性リンパ腫のため、東京・築地にある入院先の国立がん研究センター中央病院で死去した。七十二歳。二〇〇九年三月に悪性リンパ腫を患っていることが分かり、日本とインドネシアを往復しながら闘病生活を送っていたが、昨年六月のユドヨノ大統領の訪日の際、宮城県気仙沼などに同行取材した後、体調を崩し、同月から入院していた。
 葬儀は七日に近親者のみで行う予定。喪主は孫の草野光洋(こうよう)さん。後日、あらためてジャカルタで故人を偲ぶ会を開くことなどを計画している。
 一九三九年五月二十三日、東京生まれ。四四年に福島県いわき市に疎開。磐城高校を卒業後、東京外国語大学インドシナ科に入学。六四年に卒業後、東京のロイター通信社極東支局に勤務。
 六六年に毎日新聞社に入社後、仙台支局や東京社会部などを経て、外信部。七四年にはロッキード事件や赤軍ハイジャック事件で米国やアジア諸国を取材した。八〇ー八六年のジャカルタ支局長を皮切りに、八六年からマニラ支局長、九〇年からバンコク支局長、プノンペン支局長などを歴任。
 毎日新聞を退社後、タイ資本の英字紙アジア・タイムズの立ち上げに関わり、シニア・エディターを務めたが、アジア通貨危機で同紙が廃刊。毎日デイリーニュース顧問を経て、九八年五月のスハルト政権崩壊前後から、じゃかるた新聞の立ち上げに奔走し、同年十一月に創刊。
 英語以外の外国語紙として、インドネシアで初の発刊許可を得て、在留邦人や出張者、元留学生など知日派のインドネシア人に、日々のインドネシア情報を提供するコミュニティー紙としての土台を作り上げた。
 また、「アジアに精通した記者を育てる」という理念の下、数々の日本の若者の指導にも力を注ぎ、日本の全国紙や地方紙、通信社などに人材を輩出。「草野塾」と言われるほど、日本からのマスコミ就職希望者が絶えなかった。
 東京での入院生活が続き、昨年十一月十六日のじゃかるた新聞十三周年に合わせて編集長を勇退。これからはシニアエディターとして、後進の指導に当たると意気込んでいた矢先だった。

二日に死去したじゃかるた新聞の草野靖夫初代編集長

新年特集号は5日にお届けします

 じゃかるた新聞では、二〇一二年最初の紙面となる四日付紙面を新年特集号として、発刊を予定しておりましたが、草野靖夫初代編集長の死去に伴い、新年特集号を五日付に変更させていただきます。
 読者や広告主のみなさまには多大なご迷惑をおかけし、大変申し訳ございませんが、何卒ご理解・ご了承のほど、よろしくお願い申し上げます。(じゃかるた新聞)

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