「慌てず、焦らず―」胸に 前JJC理事長、本岡卓爾さん 駐在11年、帰国の実感わかず

 伊藤忠インドネシア社長の本岡卓爾さんが5年6カ月の任期を終え、帰国する。1992年末〜98年4月の1度目の駐在と合わせて、駐在期間は11年を超える。2013年にはジャカルタ・ジャパンクラブ(JJC)理事長として、日イ間の良好な経済関係構築に尽力した。本岡さんに話を聞いた。

▼2大案件、実現に前進
 伊藤忠の大きな案件は、北スマトラ州サルーラの地熱発電所や、中部ジャワ州バタンの石炭火力発電所があり、完成が視野に入ってきた。09年に赴任するまでの過去10年間、伊藤忠として、大きなプロジェクトがなかったため、この2件の意義は大きいと語った。
 また、さまざまな現地有力企業と提携を結んだ。ファミリーマートなどの事業を通してウイングス・グループと提携、ロダマス・グループとは共同で食品工場を始めた。さらに特撮ヒーロー「ビマ」では、MNCグループと提携を結んだ。それぞれの企業と初めてパートナーを組み、事業の幅を広げることができたと振り返った。
 今後は、豊富な資源を持つガスの流通設備や、中間層の増加で需要増が見込めるインドネシア人向けのマンション事業を展開していくと語った。

▼来場者増えたJJM
 JJC理事長を務めた13年は日イ国交樹立55周年や、日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)交流40周年の節目の年ということもあり、イベントや要人の往来が多かった。
 理事長になったその日の夜、日本相撲協会による大相撲海外巡業の歓迎会で1年が始まったことを鮮明に覚えているという。日イ間の共存共栄を目指した1年間は「本当に長かった」と多忙の日々を振り返った。
 5年間実行委員を務めたジャカルタ日本祭り(JJM)では、インドネシア人の来場者がどんどん増えたことが、なにより嬉しかったと笑顔を見せた。
 また、総監督兼ファーストで臨んだJJCソフトボール11年前期一部で、「伊藤忠」を15年ぶりの優勝に導いたことも思い出深いという。本岡さんは15年前の優勝時にも貢献。09年の赴任時に優勝すると宣言しており、「公約を果たしました」

▼国益に沿うビジネスを
 ジョコウィ大統領について、「国益原理主義」と表現する。政府方針に沿ったものは徹底的に支援する姿勢を感じたという。中部ジャワ州の石炭火力発電所についても、国益に沿うとして力強い支援を受けた。ジョコウィ政権に対しては、手がける案件がインドネシアにとって良い案件だということを、特に主張することが大切と強調した。

▼大統領は信念の人
 欧州債務危機が表面化した11年。インドネシアは内需が活発で投資も増えていたが、世界的に新興国からの資金引き上げの動きの中で、ルピアも影響を受けた。「こんなに国内は元気なのに、世界経済の中ではインドネシアも結局新興国の一つなんだ」と実感し寂しさを感じたという。
 「ジョコウィ大統領は信念の人だから、現状を乗り切れたら、必ず次の成長期が来る。今後、中長期的な成長につながることを祈ってやまない」と期待した。

▼開発・調査部長に
 人生の5分の1を過ごし、帰国を控えても、インドネシアでの生活が「日常」として体にしみついており、まだ実感が湧かないという。「帰国後に寂しくなるのかな」とも語った。
 中央ジャカルタ・チキニにある日本料理店の老舗「菊川」の経営者、故菊池輝武さんが日本人に説いてきたインドネシア生活の神髄「慌てず、焦らず、当てにせず、しかして、飽きずに、あきらめず」。本岡さんはこの言葉を常に胸に留め、仕事に生かしてきたという。
 帰国後は本社の開発・調査部長として、海外支店の統括業務や開発案件の組成、海外要人との調整役として、さまざまな業務に取り組む予定だ。(佐藤拓也、写真も)

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