【アチェ西海岸は今 大津波から10年(下)】 元研修生がネットワークづくり 3私大を国立大学に 世界に開かれた街へ

 地震の震源に最も近く、津波が直撃したアチェ西海岸。西アチェ県の県都ムラボに、日本赤十字社の医師や看護師が緊急医療支援活動で入ったときのこと。通信も交通も十分回復せず、通訳もガイドもいない。そこへ「私は日本にいたことがあります」と日本語で話し掛けた青年がいた。負傷者らが次々と運び込まれた市内のチュニャディン病院での出来事だった。
 「ヨシさんは私が地元で一緒に仕事をした初めての日本人だった」。日本で働いた経験を持つ元研修生の青年、ズルフリアンシャさん(38)が振り返る。「ヨシさん」とは日赤の丸山嘉一医師のことで、しばらく救援活動を手伝ったという。
 各地の被災者にアンケート用紙を配布し、被災状況などを記入してもらったが、戒厳令下で独立派武装組織・自由アチェ運動(GAM)の有力拠点・西アチェには外国人が入れない地域もあった。ズルフリアンシャさんらがこうした地域の状況などを報告した。
 「以前3年間、埼玉県熊谷市の建設会社で研修生として働いていた。でも当時日常的に使った日本語は朝に『おはようございます』、夕方に『お疲れさまでした』のあいさつぐらい。勉強する時間もなく帰国した」。ジャカルタ近郊で働いた後に帰郷し、ムラボ市街地に車の修理店を開業した。津波襲来時は隣町にいて難を逃れた。

■日本アチェフォーラム
 外国の復興支援も終わり、現在ムラボに残るのは米国の支援団体一つのみ。だが日本との交流は続いている。立教大学アジア地域研究所の高藤洋子さんらが毎年ムラボを訪問するほか、在メダン日本総領事館の濱田雄二総領事らも頻繁に訪れる。いつしか「日本人の西アチェ案内」に奔走するようになった。
 そこで2012年、日イの友好団体「日本アチェフォーラム」を設立。交流強化の足掛かりにしようと、西アチェ出身者や居住者の元日本留学生、研修生、インドネシア日本研究学会(ASJI)関係者などに参加を呼びかけている。同フォーラムも協力し、29日にムラボで開かれる津波10年セミナーには、ムラボ出身のシャークアラ大学津波防災研究センター(TDMRC)のエン・シャムシディック副センター長らも参加する。

■国際的な学術拠点
 遠隔地だったアチェ西海岸を世界に開かれた学術拠点にしようとの動きもある。政府は今年11月、私立のトゥク・ウマール大学(UTU)、トゥンク・ディルンデン大学、西アチェ・コミュニティー大学の3校を国立大学に指定した。
 「メダンやバンダアチェ、ジャカルタなど各大学との交流を活発化させたい」。シャークアラ大学からUTUの学長に就任したばかりのジャスマン・マアルフ教授は意気込む。
 バンダアチェではシャークアラ大学がTDMRCを設立。防災・減災研究の拠点となり、日本をはじめ各国との交流は盛んだ。しかし、東北6県とほぼ同じ面積のアチェ州で、別の都市にも拠点をつくる必要があるとの声が高まった。ジャスマン学長は「国立大として、これから日本や各国に協力を呼びかけていきたい」と話す。
 キャンパスはムラボ市街地と空港を結ぶ大通りから東に数キロ入った場所。復興支援で造られた道路は、木材輸送などにも使われているが、ジャカルタなどの大通りよりはるかに滑らかだ。
 キャンパス周辺の民家を1年300万〜400万ルピアで借り、数人で共同生活を送る学生たちが多い。UTU農学部に入学したばかりのイエニーさん(18)は南西アチェ県出身。「国立大になったので、アチェ州内だけでなく、北スマトラ州などから来た学生も多い」とバタック人の友人を指さして笑った。(配島克彦、写真も おわり)

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