【アチェ西海岸は今 大津波から10年(上)】火力発電所で開発進む 遠隔地特有の課題も 震源に面するムラボ

 2004年12月26日に発生したマグニチュード(M)9.1の大地震の震源に面したアチェ西海岸は、大津波が最初に到達し、約250キロに及ぶ沿岸部は壊滅的な被害を受けた。西アチェ県の県都ムラボや周辺の復興は着実に進んだが、アチェ州都バンダアチェや北スマトラ州メダンから離れた遠隔地特有の課題も抱える。西海岸の現状を3回にわたって報告する。

 津波にのまれた空の玄関口、チュニャディン空港は再建され、空港から県都ムラボに向かう大通り沿いには復興住宅が並ぶ。市街地に入る手前の海岸沿いに姿を現すのがナガンラヤ火力発電所だ。
 国営電力PLNと中国水利水電建設集団(シノハイドロ)が建設。昨年稼働し、予定する220メガワット(MW)の半分を既に発電しており、フル稼働すればアチェの電力需要の3分の1をまかなう。「資源開発は米国などが主導するアチェ北部」というイメージも変わりつつある。
 炭鉱開発の恩恵を受ける市民も増えている。空港タクシーの運転手サニさん(30)は「石炭だけではない。市民の間ではちょっとした天然石採掘ブームが起きている」と話す。山を切り崩す作業が進むと同時にギオック(ひすい)と呼ばれる天然石の「違法採掘」が盛んだという。
 アクセスも容易になる。来年1月には、国営ガルーダ航空がメダン〜ムラボ便を就航する。これまで格安航空(LCC)ライオンエアの子会社ウィングス・エアやスシ・エアが運航していたが、ガルーダが乗り入れれば開発を後押しすると歓迎の声が聞かれた。
■まだ続く道路整備
 西海岸は津波発生直後、通信も道路も寸断され、現地の状況はなかなか伝わらなかった。地震が多発するプレートに面しながらもインフラが未整備。こうした状況を改善しようと各国から支援が殺到した。ムラボ〜チャラン〜バンダアチェを結ぶ幹線道路は米国と日本の支援で建設された。
 西アチェ県のトゥク・ダデック開発計画局(バペダ)局長は「復興住宅の床面積はバンダアチェで36平方メートルに統一されたが、ムラボでは45平方メートルを確保した」と振り返る。
 だが「復興事業を統括したアチェ・ニアス復興再建庁(BRR)は早く撤退し過ぎた」とも指摘。大通りは重視されたが住宅地の道路の修復は遅れ、「現在も地方予算で少しずつ整備している」と話す。ダデック局長は2012年、東日本大震災後の東北各地を視察し、わずか1年でインフラが既に整備されていたことに驚いたという。
■ジャワと異なる支援
 魚市場や商店街など生活直結の施設、地域は早急に再建されたが、予期しない問題にも直面した。「例えば漁業支援。協同組合ごとに10億ルピア以上の支援を受けたが、組合員の間で争奪戦が繰り広げられ、うまくいかなかった。10あった協同組合のうち残っているのは一つだけだ」と指摘する。
 ゴトンロヨン(相互扶助)の精神が根付いているジャワの社会とは異なり、個人主義的な傾向が強いアチェ人の特性に合わせた支援が求められると強調する。「紛争激化で、外の世界から隔離されていた西海岸まで来ていただいた外国人を、市民は大歓迎した。だが市民が援助に甘えるようになってしまった側面も否定できない」と話す。
 津波10年を迎えるにあたり、ムラボ市街地では、追悼式典とともに地元の芸術文化を取り上げるイベントも開催する。津波で壊滅したウジュンカラン港付近にステージが設置され、日本の研究者らが参加する国際セミナーも開かれる。 (つづく)(配島克彦、写真も)

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