【プルバリンガが結ぶ 日イの地方】(下) 産官と学で新たな取り組み 県と歩むこれから

 「海外で知事と協力関係を築く」―。そんなことが中小企業にできるのか。
 周囲からそんな声が出始めていたのをよそに、杉本氏は「かまぼこ板工場」経営をきっかけに、その後もプルバリンガ県で着実に人脈を築いていった。
 地元の工場経営者に相談され、端材を利用する事業のノウハウなどを伝えることも。そして、人脈の広がりはビジネスだけにとどまらなかった。

▼大学間の協定
 近隣に日本語の専門学校を開校したエリー先生と知り合うようになり、ある時、中部ジャワ州の日本語弁論大会では審査員を頼まれた。
 エリー先生の日本語専門学校の生徒は300人を超え、日本語教育の需要は増加していた。そこで、エリー先生は2011年、近隣のバニュマス県プルウォクルト市にあるスディルマン大学に日本語学科を新設。杉本氏は学科新設パーティーにも招かれ、これをきっかけに、産官に続く「学」とのパイプも築くことになる。
 日本語学科設立の数年後、杉本氏はスディルマン大学を訪れ、授業風景を見学した。日本語を学ぶ生徒を目の当たりにした杉本氏は、エリー先生に「単語を覚えるだけでは会話にならない。1年間日本に留学するほうが将来伸びる」と提案した。
 エリー先生は賛同し、杉本氏に「日本の大学と協定を結びたい」と相談。その後、杉本氏は日本の大学を探し回った。
 そして今年1月、高松で開かれたインドネシアに関する会合で講演した際、高松大学の丸山豊史経営学部長とスディルマン大学について話した。
 高松大学は中国などから留学生を受け入れ、海外留学生の指導に積極的だった。卒業生の8割は日本企業に就職している。
 丸山経営学部長はこの話を快諾し、4月にスディルマン大学と学術交流協定を結んだ。
 両大学は単位を互換できる留学制度などを検討中で、すでに10人を超える学生が日本への留学を希望。15年1月、スディルマン大学で希望者に試験を実施することも決まった。

▼総勢50人の送迎
 今年の8月、杉本氏は大学関係者や日系企業幹部ら7人でプルバリンガ県を訪問した。目的は「インドネシアで本当に県知事と協力できるのか」を確かめるため。現地に着いた時、同行した日本人関係者は思わず圧倒された。
 スケント知事は同県の商業局や工業局ら幹部約50人で杉本氏らを歓迎。パトカーを先頭に車10台を連ね、同県各地をくまなく視察した。
 スケント知事の杉本氏に対する想いは本物だった。視察に同行した丸山経営学部長は「杉本さんが作り上げてきた地盤は揺るがない」と確信した。
 かまぼこ板工場を経営するスケント知事の甥ルッキー社長は杉本氏らに「来年、縫製工場を建設しようと思っている。建設資金は全て我々が負担する。杉本さんには技術指導と注文さえ手配してくれれば良い」と話があった。
 杉本氏はすかさず、「香川県は日本で1番の手袋の産地だ」と紹介した。すると、今度はルッキー社長が10月に来日。香川県の手袋メーカー4社と面談した結果、「かまぼこ板工場」に続き、今度は共同で縫製工場を経営する動きが本格化し始めた。

▼尽きない想い
 大企業と違い、基盤の弱い中小企業では海外進出、しかも首都圏ではなく地方都市での事業展開は苦労が絶えなかった。
 プルバリンガ県に確固たる地盤を築いた杉本氏は、「プルバリンガ県は手工芸品が優れているが、まだまだ工業化できる産業はある」とさまざまなアイデアを凝らす。
 「例えば160社を超える車などのマフラーを扱う会社だ。機械化させなければ、修理業務にとどまり、新品で販売することはできない」と、具体的な未来を見据える。
 19年にわたった日イ両国の地方密着。「頑張れ中小企業でここまでやってきた。進出する企業に同じ苦労はして欲しくないねぇ」と杉本氏は笑みを浮かべる。今もプルバリンガ県の発展に対する想いは尽きない。(佐藤拓也、おわり)

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