【火焔樹】 四十七士とテロリスト
十二月に入ると日本では忠臣蔵を扱ったドラマや話題が多くなる。四十七士の物語は日本人なら誰もが知るストーリーだ。主君を不本意な形で失ったことに対し、幕府に異を唱え、最後は復讐を遂げる家来たちの忠誠心溢れる展開はいかにも日本人好みのようだ。
時の権力である幕府に文字通り刃向かう四十七士は、英語でフォーティセブンテロリストと訳されることがある。忠義に厚い彼らをテロリストと呼ぶことに違和感を覚える日本の方は少なくないだろう。
時は移って、二十一世紀の今、九・一一アメリカ同時多発テロを首謀したとされるビン・ラディン容疑者が復讐の名の下に殺された。
ニューヨークの大都会の真ん中で、ビン・ラディン殺害の報告に朝まで酔いしれ「イエーィ」と喚起の声をあげる市民たちの様を見ると、吉良上野介の首を打ち、達成感で溢れる四十七士たちが主君の墓前に報告へ行く江戸の街道にて「よくやった」と声をかけ拍手喝采する江戸の町民たちと重なる。
数百年前ならいざ知らず、理由は何であれ二十一世紀の現代にも人を殺して喜ぶ人々がまだたくさんいることに驚きを隠せない。もちろん、事件に巻き込まれて亡くなられた方々やそのご家族の方々のへの哀悼の意は決して私も忘れることはないが、一人の人間を殺害してそれで由とする風潮に人間の愚かさを感じる。
ジャカルタの爆弾テロに巻き込まれ父親を失ったインドネシア人の少女が、きっと神様がテロを起こした人たちを導いてくれるはずだと語った言葉が印象的だった。
偉大な存在であろう父親を不本意な形で奪われた少女の悲しみは想像を絶するが、それでも、誰を恨むことなくすべてを神様に委ねようとする少女の純粋な願いは、人の力ですべてを解決しようとするわれわれに警鐘を鳴らしてくれる貴重な言葉と私は思った。
命を不本意な形で失うという意味では、日本の大災害に巻き込まれた被害者の方々も同じで、彼らは一体どのようにして誰に仇を討てばいいのか。それでも、こんな大惨事を巻き起こした神の力を恨むことなく仇を恩で報いるかのごとく大自然に再び立ち向かい復興を目指し頑張っている。
こんな人々の姿を見るにつけ、数々の辛い出来事を乗り越えながら、恨みも辛みもすべてを呑み込んでしまえる豊かで柔軟な心の土壌や精神性を育んでいくことが大切だと実感した次第である。(会社役員・芦田洸)