【ジャカルタ・フォーカス】 さまよう零細漁師 北ジャカルタ・アンケ
ジョコウィ次期大統領は海洋国家としての発展を目指している。ただ水産業には厳しい現状がある。北ジャカルタ・ムアラアンケの零細漁師は伝統的な漁法でほそぼそと漁を続ける。
ムアラアンケの漁村の一角に魚アラ(身を取ったあとの頭や骨など)の処理場がある。ウシンさん(42)は煉瓦の釜で熱を加えた魚アラの小山をくわでかいた。アラがこぼれ落ち、むっとした水蒸気が上がる。すべて手作業。海が近く静かな一角にある露天の空間には、野ざらしの魚の頭部、尾、骨が山と積まれている。「従業員は6人。1日に約2トン処理するんだ」。
▼魚アラ加工し日本へ
熱処理の後、天日干しにし、袋に詰めて陸路東ジャワ州パスルアンの工場に送る。工場は粉砕物を加工して日本に輸出。家畜用の飼料や肥料に使われる。ドラムには作業でとれた多量の魚油がたたえられる。石けんや健康食品などの原料になるそうだ。
漁師ロヒさん(47)は93年からこのリサイクル工場の従業員を兼業しているという。全長4メートルの伝統的な木造船で漁を続けているが次第に足が遠のいた。「もう漁師は疲れたね。今日もうかっても明日損をするの繰り返しだ」。
海岸から15キロの近海漁を主とするが、スハルト時代と比べて水質は悪化の一途、水揚げは不安定になった。
ムアラアンケ漁港内の給油所には、安い燃料に頼る漁師が列を成す。政府が先月5日漁業関係者専用給油所への補助金燃料の配分を20%削減したためだ。しかも、ムアラアンケは削減幅が大きい。給油所の従業員は「月6千〜7千キロリットルの需要があるのに、3600キロリットルしか配分がなくなった」とこぼした。
▼伝統漁法の零細が大半
インドネシアは1万3千の島を持つ海洋国家。領海を含む排他的経済水域の面積は世界の3指に入る。ジョコウィ新政権はその潜在性を生かそうと、海事省の新設を検討している。だが、現実は伝統的な漁法を使う零細漁師が大半を占め、冷蔵の流通網がないため、水産物に付加価値を付けることができない。
北ジャカルタ・スンダクラパ港の零細漁師ウディンさん(45)は「20リットルの軽油を買うなど漁の種銭は20万ルピアだ。1日漁の水揚げが25万ルピア。もうけの5万ルピアを、漁に出た2人と山分けする。1人の手元にいくら残るか。漁師というのはこういうものなんだ」と嘆いた。
▼西へ西へと追いやられ
ロヒさんは北ジャカルタ・マンガドゥアの漁村で生まれた。父はマンガドゥアの北に接するアンチョールで漁をする漁民一家だった。だが、州営プンバングナン・ジャヤ社がアンチョールの干潟を埋め立て、68年に娯楽施設で知られるアンチョール公園を完成させた。マンガドゥアでも商業開発が始まり、漁場とすみかを失った。71年、西に約3キロの北ジャカルタ・ムアラカランに立ち退いた。だが、ムアラカランでも華人向けの住宅開発が始まり、82年ごろ、さらに2キロ西のムアラアンケの漁村に立ち退いた。首都北岸を西へ西へと移動してきたことになる。
「ムアラアンケはもともとはマングローブ林だったのを、漁村をつくるために切り開いた。言い伝えでは、スカルノ時代に2人の西ジャワ州インドラマユ県出身者がたどり着いたのが始まりだ」。北岸の漁村の住民はマカッサル、バンテン、インドラマユなどの地方出身者が占めている。(吉田拓史、写真も)