「弟子」たちと熱唱 震災の祈りで結ばれた ラグラグパーティー 41回のロングラン
歌を通してインドネシアの文化や言葉を学ぶラグラグ会は三日、南ジャカルタ・クバヨランバルのカフェ・サファリで忘年会を兼ねた第四十一回「ラグラグパーティー」を開き、メンバー、招待客ら約百二十人が集まり、インドネシア曲をメインに二十八曲歌い上げた。
ラグラグパーティーの始まりは「第二の国歌」と呼ばれる「インドネシア・プサカ」。その後は懐メロ「スパンジャン・ジャラン・クナンガン」など三曲を出席者全員が立って合唱し、会場が熱気を帯びた。
今回、ダルマプルサダ大合唱部「タラディカ」部員二十人が初参加。学生たちの若さ溢れる声量が加わり、合唱により厚みが増した。指揮者の中村征夫さんは「文化や言葉を学ぼうという会を通り越し、コーラスクラブになった」と頬を緩める。
タラディカは現在、ラグラグ会に「弟子入り」している。きっかけは東日本大震災後に同大で開かれた、日本に哀悼を捧げる「祈りの会」。ラグラグ会が「インドネシア・プサカ」を披露すると、インドネシア政府高官らが占めた会場が一体の大合唱に。これに感銘を受けたタラディカがラグラグ会への練習参加を打診した。
両者は七月、ダルマプルサダ大の二十五周年記念式典で初めて共演。練習を重ね、今回の二回目に臨んだ。イ在住四十年の梅村正毅さんは「日本人の歌の会にインドネシア人が参加するのはなかなか考えがたいことだ。歌を通じて若い世代と親しんでいける」と話した。
ラグラグ会は一九七四年の反日暴動(マラリ事件)を契機に、七七年、駐在員らがインドネシアの文化や言葉を学ぼうと結成。以来、累積会員数は八百人を超える。
OBらで構成される東京ラグラグ会の斎藤有紀雄さん、染宮康男さん、大阪ラグラグ会の下出澄夫さんも応援に駆けつけた。下出さんは「九八年の五月暴動時は会員が激減するピンチがあったが、現在は女性会員やインドネシア人学生らも入り、また盛り上がっている」と笑顔を見せた。
パーティでは「アンギン・マミリ」「アヨ・ママ」などの定番曲を唄ったほか、メンバーらのソロも披露された。最後のあいさつでは佐久間武美さんは「今回のパーティで四十一回を数えた。ロングランは皆様のおかげ」と感謝し、長年指導に当たってきた中村さんに花束を贈った。
今年も恒例の「カパン・カパン」で締めた。「いつかまた会いましょう」という意味を込めて。