【スラマットジャラン】「違い前提に理解と交流を」 徳永防災アドバイザー
国土交通省から国際協力機構(JICA)を通じて国家防災庁に派遣されている徳永良雄総合防災政策アドバイザーが4年の任期を終え、25日に帰任する。2008年に設立された同庁で、防災計画などの政策について助言するとともに、地方でも東日本大震災の経験を語り、防災意識の向上に取り組んだ。自然災害が頻発することは日本と同じだが、国土も社会環境も全く違う国での活動を振り返り、「違いがある以上、単に日本の技術や政策を示すだけでなく、違いを理解した上で可能な協力を考える必要がある」と力を込める。
最も印象に残っている出来事は、マルク州アンボンでの「天然ダム」崩壊だ。地滑りの土砂が谷をせき止めた「ダム」が、形成から1年後に決壊。東京ドーム10杯分にあたる濁流が下流の集落に押し寄せた。知らせを受けた13年7月25日朝は、庁内で幹部と対応を協議している最中だった。ダム形成直後から避難を主張し、日本からの観測機器も導入して警戒していたが、中央、地元政府ともに反応は鈍かった。
「ごっそり亡くなった」―。怒りとともに「これが限界だったのかな」との後悔がこみあげた。当時のどんよりした気持ちは忘れられないという。しかし後に、避難を拒んだ2人以外は全員避難を終えていたことが分かった。日本の資金援助を受けた地元NGOや学生ボランティアが前日まで続けた避難の呼び掛けが奏功したのだ。最小限の被害で済んだが、それでも課題を多く突きつけた災害だった。
災害対応の司令塔として発足した防災庁だが、公共事業省や気象気候地球地物理庁(BMKG)、軍など各組織の役割分担が明確でない。危険性を判断して避難など対策の決定をいかに下すか。日本との違いに戸惑うことは多いが、広大な国土にさまざまな地形や天候、文化を持つインドネシアとでは前提条件が違う。「当たり前と思っていたことを、日本のやり方だから良いと考えるのはお門違い。一方的な支援ではなく良いところを出し合い、対等な立場で協力していくことが大切だ」と実感した。
05年から3年間駐在したフィリピンも含め、東南アジアでは土砂崩れや洪水で100人規模の人命が失われることもしばしばある。土砂災害としては日本ではほとんど起きない規模だが、それだけ危険な地区に住む人が多い現状を示している。経済的理由から災害に脆弱な土地に住まざるを得ない事情があり、なかには被災して前の住民が移転した土地に新たな貧困層が流入するケースもある。「日本では『規制するべきだ』という発想になるが、住んでいることを前提に出来ることを考えなければならない」と力説する。
東南アジアとの関わりは大学生時代の東南アジア旅行がきっかけ。貧しくても、子どもが多く明るい人々に魅せられた。「経済的には豊かだが少子高齢化が進む日本との対比に惹かれた」。国と国の「違い」を前提を大切にする素地になっているようだ。
防災関連のフォーラムや展示会では、地方の住民や行政関係者を対象に、震災の経験を被災状況の写真を交え、「語り部」になる機会も多い。悲惨な写真だが、実際に起こった災害を伝える大切な資料だ。子どもたちも釘付けになり「ここでも起きるの」、「どうすればいいの」と関心を持って聞いてくれる時、大きなやりがいを感じる。
帰国後も防災を通じた交流に携わりたいと願っている。「20年、30年後にこの国の防災がどうあるべきか、こちらに応じた形はどういうものか考え続けたい」。(道下健弘、写真も)