歴史に翻弄された華人 9.30事件で中国へ「帰国」 倉沢・慶大名誉教授講演

 1965年に発生した共産党系将校のクーデター未遂事件「9月30日事件」と事件後の大虐殺について、現在も真相を解き明かそうとする研究が続けられている。近著で最新の研究成果をまとめた慶応大学の倉沢愛子名誉教授は2日、日本貿易振興機構(ジェトロ)と中小企業連合会(SMEJ)が開いた講演会で、インドネシアと中国の間で翻弄(ほんろう)された華人の実像を中心に解説した。
 倉沢氏は講演で、事件後に迫害を逃れて中国へ渡った華人に焦点を当てた。スハルト政権下で真相解明が進まなかったことや、当事者が口を閉ざしていたことで、これまであまり注目されてこなかったという。倉沢氏は2012年〜13年にインドネシアや中国広東省などで華人の聞き取り調査を実施した。

■引き揚げ事業
 クーデターの首謀者が設立を宣言した「革命評議会」のメンバーに華人団体「国籍協商会(バペルキ)」の会長が含まれていたことなどから、事件後華人=共産主義者との偏見が広まった。次第に華人への見方が厳しくなり、華人が経営するレス・プブリカ大学の焼き打ちをはじめ、各地で華人が襲撃や迫害の対象となった。
 領事館や大使館が襲撃され、中国語学校が国軍に接収されるなど迫害が激化するなか、中国政府は 66年、華人を中国へ「帰国」させる引き揚げ事業を開始する。事業は4回にわたり、4千人以上が中国に渡った。全体の数は不明だが、個人で引き上げた例もある。

■文革に翻弄
 祖先の故地にたどり着いた華人を待ち受けていたのは引き上げ事業開始と前後して巻き起こった文化大革命だった。華人の多くは商業を営んでおり、比較的裕福だったため、ブルジョワジーと見られて中国でも攻撃の的となった。
 華人は政府が各地で管理する「華僑農場」に集められ、茶の栽培などに従事した。農場では薄給で不慣れな農作業を強いられたほか、インドネシア語を話すとスパイ容疑をかけられるなど、緊張した生活を強いられたという。
 その後、香港などに逃れたり、インドネシアに再入国したりした例もある。

■スク・チョンホワ
 スハルト政権崩壊後、華人に対する差別的な制約が撤廃され、最近では華人の蔑称「チナ」が「チョンホワ(ティオンホア)」などの呼称に正式に改められた。
 倉沢氏が話を聞いた華人の多くが「故郷はインドネシア」と語ったという。迫害を受けた華人団体バペルキも華人をジャワ人などと並んでインドネシアを構成する一つの「スク(種族、エスニック集団)」として認めるよう求めていた。
 最近、政府も「スク・チョンホワ」という表現を用いるようになったといい、半世紀を経てようやく華人の声が受け入れられ始めている。(田村隼哉、写真も)

◇ 9月30日事件 1965年9月30日深夜〜翌10月1日未明、インドネシア共産党系将校(PKI)が陸軍将軍6人を殺害して政権掌握を図ったクーデター未遂事件として知られる。事件後、全国で「赤狩り」の大虐殺が広がり、PKI党員や支持者とされた50万人以上が犠牲になった。事件はスハルト戦略予備軍司令官(当時)が鎮圧し、同氏の大統領就任につながった。

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