日本兵の遺骨282柱確認 なお6千人超眠る 遺族ら収集事業で訪問 パプア州ビアク

 太平洋戦争中に死亡した日本兵の遺骨を収集するため、パプア州ビアク島を訪れている厚生労働省の派遣団は25日、282柱の遺骨を確認し、焼骨した。26日の追悼式などを経て、遺骨はおよそ70年ぶりに帰国する。同島での収集活動は、地元政府との調整がつかず、存在を確認しながらも送還できなかった昨年3月以来1年8カ月ぶり。
 同島は太平洋戦争末期、守勢に立った日本軍が設定し、パプアを含む「絶対国防圏」の中でも、特に重視した場所。島内に三つの飛行場を設けるなどしたが1944年5月末の米軍上陸後に壊滅した。島で日本兵約1万1千人が死亡。帰還した遺骨は今回確認分も含め4250柱にとどまり、まだ約6500柱が眠っているとされる。
 派遣団は遺族ら民間6人と厚生労働省や大使館の職員で構成され、19日に島に入った。住民が狩猟などの最中に発見したものなどを収集し、インドネシア大学の法医学者らの鑑定で、骨格の特徴や所持品などから日本兵と確認。住民からの提供に基づき、山中で派遣団が所在確認した遺骨もあり、今後詳しく調べる。
 焼骨式は、かつて日本の司令部があり、約3千人が死亡したとされる島南部「西洞窟」にある「第二次世界大戦博物館」の敷地内で実施。派遣団やインドネシア政府、ビアク県政府の担当者、博物館・洞窟の管理人や家族が参加し、献花後に焼骨した。近隣住民も準備や骨上げを手伝った。
 同島での遺骨収集は56年に開始し、今回で15回目。インドネシア政府が2010年、50年以上地中にあったものは文化財とみなす文化財法を定めたこともあり、昨年の事業では地元政府との調整が難航した。鑑定まで済ませたが、遺骨を持ち帰ることができなかった。日本政府はその反省を踏まえ、日本兵の遺骨については柔軟に対応し、事業に協力するとの覚書を中央政府と結び、今回に臨んだ。
■70年もかなわぬ帰国
 現在のパプア、西パプア両州を含むインドネシアでは8万4400人の日本兵が死亡し、うち約4万9千人が未送還だ。
 戦死者の送還率が高いとされる米国と異なり、「負け戦」だった日本軍にとって、戦死者や埋葬地の記録は撤退時にほとんど廃棄されたとみられ、情報不足が最大の足かせになっている。同島の生還者は約500人にとどまり、戦友による証言もわずかしかない。
 身元確認には、2002年に導入されたDNA型鑑定が有効だが、成果が出ているのはシベリアなど冷涼な地域がほとんど。インドネシアで収集された遺骨4万4千柱で、鑑定された例はない。遺骨が見つかっても、身元が分からず照合先遺族を特定できないことに加え、高温多湿な風土では身体組織の風化が早く、DNAも壊れている場合が多いという。
■安全ピン付きの手榴弾も
 同島には兵士だけでなく、多くの弾薬も眠る。当時の武器や生活用品などを展示する同博物館では、派遣団訪問時も、安全ピンが付いたままの日本軍の手榴弾3発が展示されていた。
 遺骨収集に取り組むNPO(非営利組織)太平洋戦史館(岩手県)の岩淵宣輝さんによると、同様の手榴弾は壕の跡などでしばしば見つかるといい、「戦争の二次災害を起こしてはならない。事業の一の一は弾薬の発見。一の二が遺体発見だ」と指摘。島内の山中で昨年見つかった、日本兵の可能性がある遺骨発見場所を案内したアブラハン・ルドルフォ・ロンスンブレさんも「住人がけがをする可能性があり、日本政府は責任を持ち回収すべきだ」と話している。(パプア州ビアクで道下健弘、写真も)

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