【火焔樹】王道を歩むとは‥
「インドネシアの社会ってエネルギーに満ち溢れてるね」「日本にない活気がみなぎってるね」など、発展途上国独特の混沌とした様子を見て、こんな表現をする人がいる。
確かに、インドネシアへ初めて訪れる人にとって、1台のオートバイに家族4人が乗った光景や1時間に100メートルも進まない交通渋滞、そしてどこへ行っても人で一杯の街の様子を目の当たりにすると、きっと生まれて初めての体験からくる驚きも相まってインドネシアの将来の大きな可能性を感じることがエネルギーや活気という言葉になるのだろう。
インドネシアで感じる可能性は、何も最近の経済発展に伴って生まれたものではない。私が初めてインドネシアを訪れた1970年代初め、我が子の将来を思い、母が語ってくれたインドネシアへの大きな夢や希望。80年代初め、インドネシアと日本の国家プロジェクトで働いていた父の背中に映し出された情熱と父の部下たちだったインドネシアの超エリート青年たちが教えてくれたインドネシア人の聡明さ。90年代初め、いつの日か日本をも追い越すかもしれないと思わせた経済発展のスピード。21世紀に入り、民主的な国へと脱皮しようともがく姿から見て取れる人々のパワー。少なくとも、私の目に映ったこの40年間のインドネシアは、溢れんばかりのエネルギーと可能性に満ちていた。
その一方で、可能性を秘めながらもどこか弾き切れない部分があり、エネルギーのはけ口を探しながら堂々巡りをしているインドネシアを感じるのは私だけだろうか。それは一体どうしてなのだろうか。政治や独特な構造問題、その他様々な理由が考えられるが、いかなる理由であろうとこのままエネルギーを発散し切れずに殻を割ることが出来ぬままでいると、永遠のポテンシャル大国で終わってしまう。
インドネシア人として、インドネシアのために何が出来るだろうか。「政治は、万民のためを判断基準とする王道を歩むべきで、権謀術数による覇道を排すべきだ」と幕末の日本の政治家は語った。王道を歩んでみたい。(会社役員・芦田洸=ツヨシ ・デワント・バックリー)