日イ交流で 復興の前進を 今年も気仙沼でパレード 仕掛人の鈴木さんら来イ
宮城県気仙沼市の「インドネシア・パレード」が今年も8月10日に開かれる。仕掛け人の鈴木敦雄さんが気仙沼商工会議所青年部会長の斎藤光弘さんとともにこのほど来イ。2人は同国の支援も受けながら、パレードを復興の原動力にしたいと張り切っている。
2人はバリやジャカルタを訪れ、気仙沼市に度々訪れるなど親交の深かったユスフ・アンワル前駐日大使や日本大使館関係者と懇談。これまでの支援に感謝し、今年のパレードへの支援を呼び掛けた。ジャカルタ・ジャパンクラブ(JJC)バリダンス部からは段ボール3箱分ほどの衣装が提供された。26日にはジャカルタ特別州観光文化局のティニア・ブディアティ副局長と面会し、来年以降の開催へのアドバイスなどを受けた。
同市では2002年からバリ伝統の音楽や衣装で練り歩く「バリ・パレード」が毎年開かれていた。バリ文化に感銘を受けた鈴木さんがパレードを発案。遠く離れた南国のパレードを9年間続けたが、11年の東日本大震災で中止を余儀なくされた。パレードの衣装や大道具が大量の海産物とともに流され、わずかに残った小道具も発見された時には魚の腐臭で使い物にならなかったという。
震災後、11年6月の訪日時に気仙沼を訪れ、仮設住宅を慰問したユドヨノ大統領の激励や、在日インドネシア大使館からのバロンサイ(獅子舞)寄贈などを受けて鈴木さんらは奮起。「インドネシア・パレード」と改称して昨年再開した。
同市は水産業でもインドネシアとの結びつきが深い。遠洋漁船や水産加工場で働くインドネシア人の労働者や研修生がいる。震災後も水産加工の研修生15人を受け入れ、今年はインドネシア人一等航海士を乗せた船が気仙沼港から出港するまでになった。高齢化が進む中、将来の漁業の担い手としても期待されているといい、鈴木さんは「気仙沼の復興にはインドネシア人の力も必要だ」と話す。
鈴木さんは今も四畳半二間の仮設住宅に家族4人で暮らしている。復興は道半ば。鈴木さんは日イの交流が、復興を後押しすると期待している。
(田村隼哉)