マカッサルで子育て奮闘 山崎智彦さん一家の新生活 日本人会で情報交換
南スラウェシ州マカッサルで唯一の日本人の子どもを抱える山崎智彦さん(35)一家は昨年1月、日本人が少ない土地で新生活をスタートした。山崎さん一家の子育ての奮闘ぶりや慣れない生活での苦労話などを聞いた。
インドネシアに来るまでは「マカッサル」という地名も知らなかったという山崎智彦さん。昨年10月からマカッサルに駐在し、今年1月に日本から妻のたまみさん(33)、健人君(6)、斗真君(2)を呼び寄せ、家族4人での生活が幕を開けた。
智彦さんは、赴任当初は特に分からないことだらけで苦労したと振り返る。家探し、運転手やお手伝いさんの手配に要したのは約3カ月間。家族を呼び寄せるためには、妥協したくないとお手伝いさん探しに2カ月を費やすなど最低限の生活環境を整えた。つてがなく、時間が掛かったという。
1月に家族を呼び寄せたが、インドネシアの生活に慣れるかことができるか少し不安を感じていた。最初に苦労したのは食材。マカッサルには日本食スーパーがなく、食材の情報が乏しかった。
さらに子どもに偏食癖があったため、日本人会のメンバーから、料理に使いやすい食材を入手できる市場の情報を教えてもらった。医療情報も不足しており、子どもの健康も心配だった。英語が通じない病院もあり、在住歴の長い日本人夫妻に適切な病院を紹介してもらった。周囲の人々に支えられて生活が成り立っている。
日本人会は人数は少ないがお互いに助け合い、絆が強い。智彦さんは「情報交換の場として重要。日本人会の助けなしで今の生活はあり得ない」と力を込める。
生活には慣れてきたが、日本人に相談する機会が少ない。小さい子どもを抱えての海外生活は大変だ。今年初めに仲の良かった日本人家族が帰国すると、さらにその思いが強まった。智彦さんは出張や深夜の帰宅などで家族と触れ合う時間は少ないが、週末は家族と一緒にいることを心がけている。
4月には健人君が小学校に進学。マカッサルでは昨年、児童の帰国とともに日本人補習学校が休校したが、唯一の日本人小学生となった健人君のために、在マカッサル出張駐在官事務所や日本人会などが先生のボランティアを募ったり、教科書を用意したりするなどして同校の再開に尽力し、6月に実現した。
補習校では、智彦さんが校長、国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊の隊員が先生を務め、健人君は地元のインターナショナルスクールに通いながら、週2日夕方から、国語と算数の授業を自宅で受けている。
日々の生活で日本語を使う機会が少ない中、健人君は日本にいた時は人見知りだったが、今では積極的に人に話しかけるようになり、日本語で話せる喜びを感じている。
智彦さんは「日本人の大人の中で冗談を話す姿は、人見知りだった頃からは想像できない」と驚いた様子。
「日本人の子どもが一人しかいない小学校の環境なんて体験できない。多くの刺激を感じてほしい」と我が子の成長に期待を膨らませている。 (小塩航大)