【火焔樹】 バランスを取るということ

 プアサ(断食)真っ盛りである。今さらみんな、何でプアサをするのかを考えることはない。でもたまに、つらい顔をして我慢に我慢を重ねている人を見るとそこまでしてやる意味があるのかなと思ってしまう。
 私はプアサを否定するつもりは全然なく、頑張っている人を応援しているし、ある意味、健康的な面でも理にかなっていると思う。それでも、我慢し過ぎるのはあまり意味がなく、本来の教えから逸脱している。
プアサを行う意義の一つとして精神的な修行や鍛錬のためとされているが、苦しいと思ったらもう「負け(batal)」なのだ。それでも頑なに続けるのは、日本の一部の体育会系の行き過ぎた練習や、精神修行の名の下にいわゆる七難八苦を体験しなければ真の結果が出ないと思われていることに似ている。
 我慢とは力ずくで欲求を押さえ込むこと、だから辛い。忍耐とは最良の時期を待つことで、食べないのに適した時間が過ぎ去るのを待つ。あるいは、食べるのに最適な時間を待つ。状況が変化していくのを粘り強く待つことだと思う。だから、プアサ最大の目的は何が何でも我慢することではなく、忍耐すなわち心と体のバランスを養うものなのだ。
 辛い修行を一部の日本の精神論や根性で乗り越えてこそ成功があるという感覚がプアサをする人にあるとしたら、それは偏った解釈で、それこそ日本で社会問題となっている体罰的な発想が生まれてきやしないかいささか心配である。
 実際に、途中でプアサを断念した人に対して陰湿でいじめのような行為もあり、それを避けるためにトイレに隠れて食べ物を口にする人も中にはいる。これじゃイスラム最大の長所とされる寛大さからはほど遠い。
 偏った考え方の一部の人をクローズアップするがために悪いイメージを持たれがちなイスラムであるが、一部の日本の偏った精神論、根性、我慢がそんな悪いイメージと重なって見える。物事偏らずにバランスをとることが大事だとつくづく思う。(会社役員・芦田洸)

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