【火焔樹】どうでもいい夫婦
「いい夫婦、今じゃどうでもいい夫婦」。先日、じゃかるた新聞でこの句がサラリーマン川柳の人気ナンバーワンを取ったと紹介されていた。にやにやしながら、すぐにその川柳が記憶できた。あまりにも、同感だったからだ。
でも奥深く考えると、どうでもいい夫婦になるまでの道のりや、そこに到達できたことがすばらしいのではないかと思う。皆、それぞれの家族の中で起こる問題を、時には泣きながら、時にはけんかしながら、乗り越えて来たに違いない。離婚の危機がなかったら幸運な方である。
私自身もやはりいろいろな問題があったが、それでも、辛いときは優しくして下さるたくさんの人たちを思い出す。
私もジャカルタに嫁いだばかりのころは、母も「早く帰っておいで、またいいお婿さん探してあげるから」と言っていたのが、なぜか時間が経つにつれ「帰ったら納屋暮らしやで」と変わっていった。やっぱり帰れない。もちろん、今は歳をとった彼女のために手伝いに行くのだが。
もう一つ、第5位に「ダルビッシュ、たった一球で我が給料」とあった。そう書いた人のお給料を稼ぐのに、インドネシアのメードは3年以上かかるであろう。でも、300円でシャツが買えるインドネシアで、レバランのためにたくさんのお土産を買って田舎に持って帰るメードとその家族の幸せな様子は、見ている私でさえ感じられる。お給料と幸福度は比例しない。お金の大小など本当はどうでもいいものだと思う。
お金の大小にとらわれてはいけない。そのお金で人が喜べば、お金に価値がある。そのお金で人が悲しめばお金が持つ価値をまっとうしていない。今はそう思うようにしている。と、色々思いながらも、冒頭の句を思い出し、やっぱり私はにやにやしている。(ゲストハウス経営・平井邦子)