隣人の信頼返して 失業問題も根強く シドアルジョ泥事故
東ジャワ州シドアルジョ県ポロン郡の天然ガス採掘ラピンド・ブランタスの天然ガス試掘現場で2006年に発生した泥噴出事故は、住宅地だけでなく、中小規模の工場密集地も飲み込んだ。突然の失職に直面しながらも転職するなどして、7年掛け新しい生活を築いてきた被災者たちを訪ねた。
■工場の密集地
泥に沈んだ530ヘクタールは住宅や水田のほか、中小規模の工場が密集していた。たばこや衣服、靴、クルプック(揚げせいんべい)などさまざまな製品が作られ、そこで働く人々の生活を支えていた。
クルプック工場に勤めていたルル・マストゥハンさん(39)は工場が泥で埋もれて失業した。100万ルピア(約1万円)の月収を失い、自転車で飲み物を売る行商人として働くようになった。1日3万〜4万ルピアを得て生計を立てている。
夫のムハンマド・ユスフさん(39)も工場労働者向けの肉団子(バッソ)売りの屋台をたたまざるを得なくなった。「今は建設現場の日雇い仕事で1日3万5千ルピア稼いでいるけど、短期契約でいつまた失職するか分からない」とこぼす。
ユスフ夫妻の家は事故現場から南東1キロのブスキ村で、直接の被害は受けなかったが、「夫婦そろって収入が不安定だから子どもの将来に不安がある」と話す。
■ 住民間の対立
政府は泥を遺棄しているポロン川で08年ごろから作り始めた「泥島」を、生態学習の場とする計画を立ち上げるなど事故現場の有効利用を推進してきた。シドアルジョは世界でも珍しい密集地に発生した泥火山として知名度が高まり、観光で訪れる人も増えた。
そこで観光客向けのオジェック(バイクタクシー)に転職した被災者もいる。ハルワティさん(37)は泥噴出で家庭環境が一変し、生計を立てるために数少ない女性のオジェック運転手になった。「夫が2年ほど前に亡くなり、2人の子どもを養うために1日6万5千ルピアほど稼ぐ」という。
泥噴出現場から400メートル離れたシリン村は埋もれ、住み慣れた家を追われた。8カ月の避難所生活を経て、現在は事故現場から西に5キロメートル離れたチャンディ・パリ村の借家に両親と暮らす。
定収入がなくなり、不安定な仕事を余儀なくされた被災者たちにとって、賠償金未払い問題は切実な問題だ。抗議運動も金で懐柔しようと目論む動きがあり、被災者の間で不信感が募ることもあるという。
ユスフさんは「住民間の対立に発展することが一番の問題」と話す。目先の金欲しさに、ラピンド側に抗議運動の情報を提供したり、泥の安全性を主張したりする住民も出た。徒歩でジャカルタまで行き、ラピンドを経営するバクリー・グループ傘下のTVワンに出演した知人もいたが、その後、彼は住民たちの前に姿を見せていないという。(東ジャワ州シドアルジョ県で赤井俊文、写真も)